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  • 結局、タスクを愛せる仕事という結論

    結局、タスクを愛せる仕事という結論

    生きるのが難しい。
    シンプルに考えると簡単、難しく考えるととても難しい。

    ただ生きればいいという考え方。これならば、1日3000円くらいの収入で生きることも可能だ(まぁ、生活スキルによるなぁ)。

    しかしながら、この情報化社会がシンプルさを許してくれない。
    欲望が刺激されるし、幸せそうな人がもてはやされるし、自分には何かが足りないのではないかと思い込まされる。

    情報化なんて関係なくても、誰にも評価されずに生きるって本当に難しい。思春期の青年から、独身の中年、立場を得たジジイまで評価されたくってしょうがない。
    もちろん、私もです。
    それを、誰かの役に立ちたいとか、誰かに喜ばれたいとか、キレイな言葉に言い換えて生きているのです。

    こうして、生きるのは難しくなる。

    楽しかったらいい、と思っていた時期もある。
    だけど意外なことに、楽しむことにも選択ややる気が必要だと40代になると実感してくる。
    なんかね、体力がいるんですよ、知りませんでした。

    いや、老いの話をしたいわけじゃないんですよ。
    そういう状況になってくると、何を選ぶべきかって話がしたいのです。

    回り回って、仕事は良いなって思ってるんです。
    早期に資産を獲得してリアイアするFIREって言葉を聞くようになりましたが、それこそ生きる金はあるけど、ただ生きる生活。これって難しいんですよ。
    誰かから必要とされたい。誰かから金を払ってでもあなたに頼みたい、という仕事を持っていたいと思うようになりました。
    年齢が高まってくると、遊び力が減ってきますし、新しいSNSについていけなくなるし、楽しむ作法が分からなくなる、今更そんなノリで遊べねぇという気持ちにもなる。
    だから人と繋がる力が減っていき、なんとなく人生がしぼんでくる。
    そんな時、頼りになるのは仕事だと思えるようになりました。

    例えば定食屋の大将とかだと、ごはん目当てに人が集まってきてくれるじゃないですか。かたや退職後の会社員はどうやって人を集めるかって難しい。スキルがないなら金を払って人の集まりに出向くしかなくなる。
    だから、アッパーな層にとって頼りになるのは仕事なんですよ。
    それを、40代になってうすうす感じつつある。

    ここから仕事論を語りたいのですが、
    報酬が良いとか、ニーズがあるとか、昔からの夢とか、仕事選びには色々あると思うのですが、結局はタスクを愛せる仕事じゃないと続かんなぁと思います。
    好きを仕事に! とか、やりたいことをやろう! とかって言いますけれど、実現性に欠けますよね。
    寝るのが好きだ、寝たいから寝る。これではなかなか難しい。
    ですから、仕事の中心にあるタスクを愛せるかがポイントだと思います。

    タスクってのは、
    何かを作る、人と接する、人前で喋る、文章を打つ、企画を考える、漁をする、運転する、掃除する、etc.
    こういうのの中に、ずっとずっとできることがあるのではないですか?

    逆に、夢やゴールを描くという方法。
    私で言うと、小説を書いて、賞をとって、インタビューされるみたいな映像を描くことはできるんですが、同時に、ミュージシャンになることも、首相になることも描くだけなら描くことはできる。
    しかし、実際の成功者はこういうモチベーションの上げ方をしないと思う。
    本当の成功者はただそのタスクを愛してたんじゃないかなぁ。
    小説家なら書くことを、政治家なら演説を、ミュージシャンなら奏でることを、羽生結弦はアイススケートを、藤井聡太は将棋を、内村航平は体操を。
    無理に成功をイメージするより、愛すべきタスクをやり尽くすのが、みんなが幸せになる道じゃないかなぁ。

    と、最近は思っています。

    とまぁ、こんな風に適当に文字を連ねていくのが私は好きです。
    目の前のものが変化するのが好きです。
    変わらないものを扱うのは好きじゃない。後戻りとか大嫌い。
    毎日同じものを維持する仕事とか、目の前をダンボールが流れていくだけの仕事とか、同じような書類を作成する仕事とか、向いてないんだろうなぁ。
    例えば、目の前の人を笑顔に変える、とかも好きなのですが、どうせなら自分の作ったもので笑顔にしたいなぁと思ったりします。

    以上が、2022年の仕事論でございます。
    まぁ、理想に叶わぬ仕事ばかり増えるのが現実ですけどねー。

  • 老いた上に、捻挫が重症

    老いた上に、捻挫が重症

    久しぶりにブログを書きます。
    ブログを書かなくなった理由は小説を書いているから、でもあるし、老いてきて面白いことがなくなってきた、ということでもある。
    特に、足の捻挫が老いを加速させる。

    足首を捻挫しました。
    1月の中旬の土曜日でした。
    酒を飲んでたのです。いつもの通りにかなり飲んだ。ビールから日本酒にいったであろう、覚えていないけど。
    で、足を組みながら飲んで、痺れていたのです。
    そろそろお片付けをしようと思って立ち上がったら、右足が意思通りに動かず、ブラブラで、グギギギギとなった。
    変な角度で、思いっきり体重をかけてしまって、痛いというか、崩れ落ちた感じ。
    頭がクラクラするほどのダメージを受けました。

    ぐねった。思いっきりぐねった。捻挫というのが正しい表現である。
    右足を内側に反らせたまま、全体重をかけてしまって、右足首の右側面が伸び切ったというか、断裂したという感じ。
    やってしまいました。

    前々から危惧していた。足が動かなくなったら人生が終わるなって。
    ストレス発散はランニングであるし、最も楽しい趣味はダンスである。
    足が動かなくなったら、全てが奪われる。
    それが訪れたのです。

    とりあえず、お陰様で日常生活には支障はないし、仕事もできる。だけど、1週間経っても、2週間経っても、3週間経っても、動かすと痛みを感じる。ランニングはできないし、ダンスも無理っぽい。
    そんな日々が訪れています。

    キツイよ。
    オミクロンで楽しみがないし、小説を書いてもぜんぜんダメだし、創業塾ってのに参加したのにオンラインセミナーになってしんどくなったし、その上、
    ワクワクしなくなった。
    老いだ。

    私には若さがあって、やったことないことでもやってみる、楽しいか分からないけど行ってみる、上手くいくかわからないけどチャレンジしてみる、へんてこな動機で動いてみる、それが私だった。
    しかし、最近はそういうのに燃える心がなくなってきました。
    ああ、老いなのか。これが老いなのか。
    そう思っているところです。
    ああしたい、こうしたいといつまでもブログに書いていられると思っていたけど、老いについて書く日が来るとはなぁ。
    もう、泣けてきますね。

    というわけで、本当に皆さん、頑張って下さい。
    すべからく全員歳をとりますので、今この瞬間が一番若いのです。
    色々と分別がついてきて、ノウハウが貯まってきたかと思ったら、情熱がなくなってくるのが人生です。
    今、最もやりたいことを全力でやるのが正解だと思いますよ。

    走れるうちに走っとけ。
    踊れるうちに踊っとけ。
    自由に恋ができるうちに恋しとけ。
    夢があるなら挫折しとけ。
    そんな風に思います。

    「少年老い易く学成り難し」と申しますけれど、実感するのは難しい。
    知ってるよ、知ってる、人はすぐ死ぬよ。

    そんな毎日を私は生きています。

    あと1週間あれば、そろそろ捻挫は回復するのではないか?
    そうなれば、再びランニングで体を鍛えようと思う。
    いつか走れなくなると思うけれど、ちゃんと体を動かしながら生きていこうと思う。
    山野を駆け回り、京都をうろうろし、酒のんでグダグダするのが私です。

    きっと、私の本が出版される日が来るだろうし、
    自営業で生きていけるだろうし、
    食糧生産をしている日も来るだろう。

    希望はまだある。大丈夫。
    そう、希望があるからブログを書くのだよ。

    希望はあるぞ、みんな生き延びよ!

  • 人前で踊ってる奴らの内側の世界について(サイレント盆踊り)

    人前で踊ってる奴らの内側の世界について(サイレント盆踊り)

    2021年11月3日(水・祝)、京都サイレント盆踊り-秋を実施し、6名で踊りました。

    平安神宮の前に変な奴らが現れた!
    それは私達です……。

    2021年夏、コロナ禍によって京都の盆踊り大会は全滅した。
    これは2020年と同じ事態で、2年連続で踊れない夏を過ごすことになる。
    私は怒りました。
    「オリンピックやって、なんで盆踊りはできひんねん!」

    と、文句を言うだけじゃないところが私のエライところで、一歩踏み出すことにした。
    それがサイレント盆踊り。
    適切なディスタンスをとって、イヤホンから流れる音で踊る。
    コロナの感染リスクは低く、音響機器を置く必要がないので場所の使用許可不要。傍から見れば体操をしている集団と同じ。

    8/16と8/22にサイレント盆踊りを実施した。
    4人と3人だけだったけど、我々もご精霊さんも大いに喜んだ。
    しかし、問題があった。

    盆踊りらしく夜に決行したので、良い写真が残っていない。
    これはとても残念なことだ。
    今や、写真や動画を共有するのはマストと言える。

    写真や動画が欲しい。
    そんな理由で、11月3日の明るい時間に集まって、サイレント盆踊りを実施する運びになりました。

    日程は早くから決めたのですけど、10月は気忙しく、ネットワークにも乏しいので、踊る人の集まり具合はイマイチです。10人くらいで踊れる用意はあるし、申込みが増えれば20人でも30人でもいいのになぁ。
    集まる予定の人は4人だけ。

    でもこれはしょうがないと思っていて、
    本物の盆踊り大会に参加したことない人が、いきなりサイレント盆踊りに参加するのは順序が違うなぁと思うのですよ。
    私のイメージでは鉄の心臓を持った、選りすぐりのメンバーじゃないと、恥ずかしくって踊れないと推察していた。

    踊ろうと思っていた曲目に関しても、前日に覚えるというインスタントな方法になってしまった。もっと熟練させておくべきだったのかもしれない。

    そして、当日を迎えました。

    京都の岡崎エリア。平安神宮の前。観光客がちらほら。修学旅行生も歩いている。
    歩行者天国になったのは5年くらい前かな? 広々としていて踊っても誰の邪魔にもならなさそう。
    端っこで踊ると逆に恥ずかしいので、最も目立つ場所に陣取る。

    嬉しいことに前日に2名の参加者が増え、計6名。
    それぞれがイヤホンをつけて、そこから流れる音頭で踊る。

    最初に郡上おどりのかわさきを始めようとして、これはちょっと難しく、炭坑節に切り替えた。
    我々が輪になって踊りだすと、ほどほどに注目を浴びる。遠くからの視線を感じる。
    好奇の目ではなくて、動いているものに自然と視線がいってしまう、という感じだったように思う。
    例えば、大きめの鳥、、、鶴が平安神宮前に降り立ったら、みんな注目しますよね。あまり近づかないようにしますよね。まさにそんな感じの視線を浴びた。

    しかし、その中でもけっこう近くにいた熟年夫婦がしばらく我々の踊りを見つめていた。すると仲間の1人が声をかけたようだ。見ていたおばちゃんが輪の中に入って一緒に踊った。飛び入り参加。嬉しい誤算。
    「しまった。予備のイヤホンを用意しておけば良かった」
    私はそんな風に反省しながら踊ったのでした。

    炭坑節、河内音頭、春駒、ドンパン節、ダンシング・ヒーロー、かわさき、江州音頭、用意したラインナップ全てを踊った。1時間強。
    散歩中の人の視線を浴びたり、七五三参りの子どもから見られたり、何人かに写真か動画を撮られたりした。

    我々は十分に変な集団でした。
    「完全に鴨川ホルモーやないか!」
    と、私はクスクス笑いました。

    しかしながら、もし私が通行人として通ったなら、
    「うわー、面白そうなことやってるー、仲間に入りたーい!」
    と、目を輝かせたに違いない。
    変なことしてる奴らの内側の世界に入れていて、私は幸せだなぁと思うのです。
    踊ってる者同士で視線を交わし、笑顔を交わして、楽しいなぁと思うのです。

    空が青くて、気候は涼やかで、周りは広々として、人々は適切な距離で眺めてくれる。
    最高のロケーションでした。

    残念だったのは1点だけですね。
    お弁当を持参したら、ピクニックみたいにその場で昼食も美味しく食べれたのに。
    お腹ペコペコで家まで帰ったのです。
    もっと余韻に浸れたのになぁ。

    とても良い日でした。
    願わくば、またこんな日を過ごしたい。

    次からの企画は何も決まっていない。
    残念なことだ。

    マネジメントをしてくれる人がいたらいいのになぁ。
    私は盆踊りではプレーヤーになりたいから、主催者には向いてないんじゃないかなぁ。
    もっと戦略的にサイレント盆踊りの良い面を引き出してくれる人がいるはずだ。
    色んな人の意見を参考にしながら、ベイビーステップで広げていきましょうかね。

    とにかく、2021年11月3日、平安神宮前でサイレント盆踊りを実施した。
    これは京都盆踊り史に刻まれたに違いない。

    また開催できる日を夢に描いておきます。

    ちなみに、サイ盆にガールファン来る、とはなりませんでした。
    ファンが集まるくらいの革新的盆踊り集団になるように、がんばります!

  • ファンタジー小説だな「羊をめぐる冒険」

    ファンタジー小説だな「羊をめぐる冒険」

    こんにちは。本日は読んだ本の話を書きます。
    村上春樹さんの「羊をめぐる冒険」を読了しました。
    感情表現が少なくて、非現実的だった。

    ラム肉が食べたい。
    この間やったバーベキューで食べた。
    もう一度食べたい。

    そうそう、
    私が昔、自転車旅行で北海道に行った時、バーベキューパーティーに招かれたことがある。
    炭火でジンギスカン肉が焼かれていた。
    「北海道では羊の肉でバーベキューをするんだぁ」
    と、親切にしてもらった。

    あの頃は、少年が大きくなっただけの青年だった。
    受けた恩義を、私はお返しできていたのだろうか?

    旅が終われば焼き鳥屋なんかをやって、普通のオヤジになろうと思っていたけれど、あれから訳の分からぬ獣道に迷い込んで、ここまで来てしまった。
    少年が歳をとっっただけの中年になった。
    自分が立派になった姿をお見せしたかったのになぁ。

    さて、そんな私ですが「羊をめぐる冒険」を読みました。
    村上春樹さんはとても有名ですが著作を読むのは初めてです。
    「人を煙に巻くような文章やなぁ」
    と、舌打ちしながら読んだ。

    序盤はストーリーが進まなくて、ちんたらちんたらしてるから、上巻の中ほどで読むのを中断しました。
    他の本を3冊読むくらい中断した。
    ラム肉を食べなかったら、そのままほったらかしていたかもしれない。

    ラム肉に導かれるように再開したところ、黒い服の男(秘書かな)が出てきたあたりから、冒険譚になっていき、面白くなった。
    身近な世界を舞台にしていると思いきや、ファンタジー小説のようだ。
    ストーリー展開も不思議さがあるけれど、主人公の感情が伝わってこない点が非現実的で、ファンタジックなんですよね。
    だから指輪物語っぽい。ホビットしか読んだことないんですけど。

    村上春樹さんにファンが多い理由は、独特の文章のせいで色々と分析したくなって、自分なりの解釈をしたくなるような点が魅力になっているのかも。

    私も、
    地の文ではストーリーが進まないのに、会話文で進むなぁ。
    というような分析を語りたくなる。
    もっと読み込むと、もっと語りたくなるんだろうなぁ。

    めんどくさいので、読み込まないことにします。

    この本で得たものと言えば、感情をダイレクトに書かずに、行動だけを書くとかなり詩的な文章になることを発見しました。
    「だから、とても嬉しい」

    と、こんな風には書かずに、
    「そうして私はニンマリと笑った」
    みたいに書くと、文章のレベルが上がる。
    いや、文章にレベルなんてない。所詮は好みだ。

    とまぁ、煙に巻くスキルが上がったかもしれません。

    とにかくラム肉が食べたい。
    ラムレーズンのアイスも好きだ。
    うる星やつらでは、ラムちゃんより、しのぶちゃんの方が好みだった。
    また、バーベキューしよう。

  • FMトランスミッタキット電子工作に9時間もかかった

    FMトランスミッタキット電子工作に9時間もかかった

    今日は夜にサイレント盆踊りをしてきますので、今のうちにブログを更新しておきます。
    100日連続更新まで、この投稿を含めあと9日です。

    昨日、というのは2021年8月15日です。
    お盆休みなのにも関わらず、コロナでもあるし、豪雨で土砂崩れのため各地で通行止めが起きています。
    こういう時は、どこにも行かないほうが良い。
    というわけで、家で電子工作をすることにしました。

    これは、FMトランスミッタを作れるキットで、サイレント盆踊りのシステムに使えないかと目論んだのです。

    電子工作は中学生くらいからやりたくはあったのですが、手を出さずに40歳を超えてしまった。
    そして、先日苦労しながら1作めを作ったばかりの初心者です。
    >>初めての電子工作はFMミニワイヤレスマイク

    今回はさらに苦労しました。

    写真を見るかぎり、15:00から工作をスタートさせたようです。
    基盤の上に部品をのせてはんだ付けする。
    最初は小さ都市を作っているような気持ちでいました。
    どんな動きをするか分からない部品を間違いのないように並べていくのです。
    この際、背の低い部品からつけていくのが良いという学びがありました。

    はんだ付けもうまくなったし、前回のよりもスペースが広いしやりやすいと感じていました。
    ただし、前回よりも部品が多く、はんだ付けも多くなったのが現状です。

    そして、地味な作業を3時間ほど続けます。
    集中して楽しい気持ちではいました。
    ようやく最後の方に来たところで、私は失敗しました。

    ピンプラグでミスった。カバーをはめ忘れてはんだ付けしてしまった。
    はんだを外したけれど、その穴が塞がってしまってここで大変な苦労に見舞われた。
    穴に詰まったはんだを取り除けないのです。
    最後の方で大失敗。油断しましたね。

    結局は、穴は塞がったままで、その上から無理やりはんだ付けすることになった。

    そして作業開始から4時間ほどが経ち、ようやく完成するのだが、動かないんですよ。
    本来なら、ラジオが何らかの反応を示すはずなのに、動かない。
    大変なストレスに襲われました。

    一旦は諦めようと思ったのですが、どうしても気になって、また向き合ってしまう。
    テスターでこちょこちょやってみる。
    そもそも、何が原因で動かないのか全くわからない。
    初心者なのでバクフィックスのやり方が分からない。
    通電を調べれば良いものでもないようです。そもそも通電しない部品がある。
    抵抗を調べれば良いのか、電圧を調べれば良いのか、電流を調べれば良いのか、何もわからない。
    しかも、集中力が必要な連続作業で脳みそには疲労が溜まっており、判断力も低下するのです。
    そんなわけのわからないことを、24時になる20分前までやり続けました。
    トータルで、9時間も電子工作と向き合ったしまったのです。
    徒労感でいっぱいでした。

    日付が変わってしまう!
    と、思った私は、急いでブログを更新して、シャワーを浴びて、布団に寝転びました。
    集中しすぎていたので、脳が休まらず、読書もしました。
    そしてようやく就寝できたのです。

    次の日。
    もう、電子工作は諦めよう。
    と、思った朝だったのですが、どうしても気になる。
    触ってしまうのです。

    眺めたりした。
    電池を入れ替えたりした。
    あとはやはり、脳が落ち着いていたんでしょう。ラジオから流れる音の小さな変化に気づくことができた。
    上手く周波数を合わせると、なんと、正常に稼働しました。
    自作のFMトランスミッタから電波にのって、ラジオで音が流れてきました。

    これがあまり嬉しくなかったのです。
    何で動くん?
    って感じ。

    とにかく、電子工作の2作目も無事に稼働させることができました。

    しかし、電波が弱く、実用に耐えられないようだ。
    ここにきても何が悪いのか分かりません。
    変な部分に電圧を使いすぎなのか、アンテナの長さが悪いのか、なにか間違っているのか分かりません。
    近くから発信されている電波より、遠くから発信されているラジオ局の音声のほうがクリアーに聞こえるのです。
    悔しくなりますね。

    とにかく、電子工作に9時間もかかったのです。
    これをどう考えます?
    1000円のキットで9時間も遊べたと考える?
    あるいは、時給1000円で働いてたとしたら1万円の値打ちがあるものが買えたって考えますか?

    まぁ、思い出はプライスレスだからなぁ。
    夏休みの自由研究の工作だったってことにしておきますか。
    そう考えると、ちゃんと大人なものが作れて良かったです。

    教訓としては疲れた脳であれやこれややらずに、ちゃんと寝るべきでしたね。
    この点は時間の無駄だったかもしれない。

    2個連続で成功させているので、これはセンスがあるのかもしれません。
    これからも頑張ります。

    今回作ったキットはこちらです。
    https://akizukidenshi.com/catalog/g/gK-00086/

  • 盆踊り発祥の地を視察

    盆踊り発祥の地を視察

    私は盆踊り発祥の地へと向かいました。
    汗だくだくになりながら、走って行きました。

    だが、盆踊り発祥の地は良い場所過ぎて、歴史に翻弄されたんだろうなぁ。

    昨日、伏見が盆踊り発祥の地だという説を訴えました。
    8月22日に、盆踊り発祥祭りを勝手にやろうと企てています。
    だけど、どこなら踊れるか?
    どこでも踊れるけれど、できるだけ迷惑にならないようにしなければ。
    視察に行きました。

    盆踊りが最初に文献に出てきた場所、即成院。
    即成院は今でもあるけれど、場所が東山区に移っている。
    元々あった場所は豊臣秀吉の指月伏見城があった場所。
    これは現在では観月橋団地になっています。

    考えると、この盆踊り発祥の地は良い立地すぎて、歴史の中心になりすぎたため、今や跡形もない。
    何かランドマークが残っていれば良かったのになぁ。

    観月橋団地付近からは、伏見城の埋蔵物だと思われるものが沢山発掘されました。

    指月伏見城案内板

    この近くにある公園が泰長老公園です。

    この公園は奥まった場所にあるため、利用者が少ないようで管理が行き届いていない。
    草がボーボーになっています。

    ただし、かろうじて踊れるスペースはありました。

    泰長老公園
    泰長老公園

    あと、東奉行児童公園も視察

    東奉行児童公園
    東奉行児童公園

    あと、伏見公園も視察

    伏見公園
    伏見公園

    さて、どこで踊りましょうかね?

    平安時代末期には、橘俊綱の屋敷があって、伏見宮家に相続されて、豊臣秀吉が城を建て、そこからはどうなったのか昭和には団地になった。
    そして今では草ボーボー。

    夏草や兵どもが夢の跡

    ですね。

    私もいつまで生きれるか分かりませんので、できるだけ魂をスパークさせて生きたいなぁと思います。
    コロナ収束なんて待ってなれない。
    その時に、生きてる保証はないからな。

    露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢

    豊臣秀吉でも人生は露のようだと言ってるわけやから、私の人生なんぞ、ミストみたいなもんですな。
    踊るしかない。我々のような庶民は踊るしかないのだ。

    以上

  • 「ななつのこ」作中で絵本の物語が進む驚き

    「ななつのこ」作中で絵本の物語が進む驚き

    今日は読んだ本の話。
    明日は読書会なので、喋る前にブログでまとめておくパターン。
    6人か7人集まりそうです。

    加納朋子さんの「ななつのこ」を読了しました。

    カラスなぜ鳴くの、カラスは山に、かわいいななつのこがあるからよ。

    という歌がありますけれど、このななつのこの意味するところは、7羽の子なのでしょうか? 7歳の子なのでしょうか?

    こんな幾重にも意味の重なる言葉がありますが、この「ななつのこ」という小説も不思議な構成をしています。

    主人公は女子短大生の駒子。女子同士のキャハキャハした日常と小さな事件で物語が進みます。
    しかし、駒子は「ななつのこ」という絵本の話をするのです。絵本の主人公ははやて。この少年の物語も追うことになります。
    さらに駒子は「ななつのこ」の作者にファンレターを送り、返信をもらうのですが、その手紙に小さな事件の推理が書かれているのです。
    幾重にも重なるストーリー。

    やはり、7章で構成されておりますが、1章ごとに完結を迎える連作短編集です。

    1992年に発行れた本ですので、2021年からすると29年前の作品。41歳の人は12歳だった頃かぁ。
    電話の描写は固定電話だし、デパートの屋上が盛り上がっている描写があるし、このあたりに古さを感じました。
    短大生というのも今やレアな存在なんですよね?

    夏を舞台にした作品で、夏の子、という意味も含まれてるのかなぁと考えたりもしました。今の季節にピッタリくる作品。

    面白かったんです。
    途中で絵本のストーリーが挟まれるので、思考が右へ左へと宙に浮くような感じ。
    だけれども最後には書簡体でズバッと事件が明るみになるので、スッキリします。気持ちの良い構成です。

    私にとっては駒子のストーリーより、はやてのストーリーの方が印象に残ってる。抽象化されてるからだろうか。
    メインの主人公が語った話が印象に残るって、不思議な感覚ですね。

    さて、カラスって、7羽も子どもを産まないらしい。
    また、カラスの7歳は子どもではないらしい。
    存在し得ないカラスのななつのこ、、、
    何か不気味な感じがしますね、、、

    以上です。