投稿者: 石黒わらじろう

  • 農地が欲しいなぁ

    農地が欲しいなぁ

    農地が欲しいなぁ。
    ジジイになったら野菜を育てて、家畜を可愛がって、体を動かしながら生きていきたいなぁ。
    観光農園的にもして、キャンプも出来るようにして、たまに人が集まる感じにしたいぁ。
    と、また夢想している。

    拙者は相変わらずここではないどこかでの生活を夢見ているし、今の自分ではない何者かに憧れる。

    最近までは、ジジイになったら大衆食堂をやるのがいいなぁと思っていた。
    小説家になれたらいいなぁとも思っているし、1kmあたり5分を切って走りたいなぁとも思っているし、トライアスロンも完走したいし、ちょっと地図を広げると白山に登ってみたくもなってくるし、300人でフォークダンスを踊る夢もあるんだよな。

    こんな風に焦点を絞れずに、あれやこれやと手を出して、結局成果も出せぬまま、夢の残骸が残っていく。現実に飲み込まれていく。
    ディスプレイの前には片時もいたくないのに、結局は社会から必要とされる技術はIT系のようで、PCの前から逃れられない。Webサイトのメンテナンスであくせくした。

    だから冒頭の、農地が欲しいなぁ、というのは現状からの逃げなんじゃないかと思う……。

    でも、この記事を書こうと思ったのは、夢想するのはいいじゃねえかと結論づけたからだ。

    まずは、人が作ったコンテンツに興じるよりも、夢想するほうが少し上。
    今の時代はいくらでもコンテンツを浴びれる。指先を動かせば動画を見たり、文字を読んだりできる。それらで感動するのも良いが、自分自身で想像力を膨らませて夢中になることは、主体性があって良い。自分の人生を生きるってのは、自分の意志があってのことだからな。

    夢想するより上なのは、ちょっとでも行動につなげることだ。
    行動の積み重ねによって知恵が育まれるし、自信もつくし、失敗もあるけれどそれが学びになる。
    行動しないのは下の下だから、行動に結びつく夢想は積極的に広げるべきだ。
    拙者は農地が欲しいなぁと夢想して、金を貯めるとか、より高い収入を目指すとかはしないダメ人間だけれど、ニンジンの種は買ってきた。
    ニンジンの栽培経験が役に立つかどうか分からんけど、行動しないよりはマシ。

    一方で、現実に飲み込まれるのも悪くはない。
    必要とされてるってことだし、これも生きるってことだ。

    現実に飲み込まれる自分も、夢想する自分も両方OK。
    行動する自分も、夢想だけに終わる自分も両方OK。

    ちなみに、ニンジンの種を蒔こうと思ったけど、畝のサイズを広げねばならないらしく、炎天下のせいで挫折した。
    とほほ……。

    以上。

  • 高島おどり必勝法

    高島おどり必勝法

    「お風呂に入るの面倒くさいなぁ」とおっくうがったのに、いざ入ったらめちゃめちゃ気持ちええ、という時はある?
    拙者はない。お風呂は面倒くさくない。
    しかし、1年ぶりの盆踊り会はちょっとおっくう。なんせ住まいから70kmの道のりに隔てられているから。
    それでもバイクを走らせて、滋賀県高島市に向かうと田園風景に癒やされ、人々の輪に入り高島おどりを踊るとエネルギーがチャージされた。充実。
    2度目の参加で分かった事がある。
    高島おどりは難しい。
    だが、成長期にある盆踊り会なのだと、若者が教えてくれた。
    来年はおっくうがらないように、文章を残しておく。

    拙者が高島おどりに参加すると関係者の方から「ブログの人ですか?」と言われる。「ああ、はい、すいません」と答える。
    昨年初参加した感想をこんな風に(高島おどりを称賛せざる負えない)書いたら、関係者の皆様に回覧していただいたらしい。
    拙者もやる気を出すために再読したが、何たる悪文かと思って消したくなった。かたや狂人らしさはにじみ出ているので表現としては正解かもしれんと、自分を慰めた。
    とにかく、今回の記事は悪文を修正するとともに、関係者に好かれようとする思いを自制し、自分のための高島おどり必勝法というテイストで書きたい。

    必勝法1、アクセス良いのでおっくうがるな

    高島おどりが実施されるのは、近江今津駅からすぐ近くの商店街なので、アクセスが良い。新快速がとまる。
    また、バイクでも1時間ちょい(渋滞を避けられれば)なので早い。

    どれだけ濃密な時間を過ごせるか? という観点で捉えれば、往復2時間くらい使う価値はある。

    必勝法2、なかなか憶えられない

    2回目ってことで動画を見て予習したのだが、雰囲気しかつかめない。踊りは憶えられず、江頭先生の魅力しか伝わってこない。
    また、本番前の事前練習から参加したが、7種類もあるので、分かってきたと思ったらすぐ終わって、本番でもさっき踊ったはずの踊りが全然出てこない。
    拙者は盆力を高めているので、見本となる人の後ろに付けば動きをコピーできるのだが、それでも途中で集中力が限界に達する。
    1曲あたり30分くらい踊り続けたら体が憶えてくれると思うが、7曲あるので3時間半のトレーニングが必要だ。

    自分向けの必勝法としては、
    ・事前の練習会に一度は参加する
    ・曲と特徴を憶えて、当日の休憩時間に自主トレする
    ・何曲かは諦める
    かな。

    今はまだ踊りに集中せねばならず、掛け声を出したり、周りの人と目を合わす余裕がない。戦力になれていない。

    必勝法3、曲と特徴

    とにかく曲と特徴を覚えよう。

    今津高島音頭

    踊り:これは難しくない。4種類のポーズをキメていく感じ。

    曲:(後日追記します)

    中庄本調子

    踊り:網を引く動作が特徴的。

    曲:(後日)

    朽木やっさ音頭(市場)

    踊り:3拍が連続する。

    曲:(後日)

    新旭高島ふるさと音頭

    踊り:手をくるくるする(毛糸を巻き取るような)動き

    曲:(後日)

    朽木針畑音頭

    踊り:行ったり来たりして位置が変わらない。

    曲:(後日)

    諏訪神社奉納踊り

    踊り:手をハの字に開くのが2回連続なのが特徴(あたりまえ体操の最後の動き)

    曲:(後日)

    椋川音頭

    踊り:右に何かを飛ばすような動きと、足が右左タンタン動くイメージ。

    曲:(後日)

    以上7種類。
    曲を聞けば、あれかぁと思い浮かべられるようにしたい。

    必勝法4、成長を見届けよう

    今年は去年よりも参加者が多かったし、見本になる人用のお立ち台が新たに設置されていた。

    盆踊りに参加していた若者は、成長途上にある盆踊り会を探すと高島おどりに行き着いたと語っていた。
    初参加した時、なんとなしに感じた可能性や躍動を同じように発見した人がいるんだな、と思った。

    また、各地を転戦しているガチの盆おどらーも注目しているようで、郡上おどりの愛好者や、兵庫県からの参加者もいた。あと、あの人と、あの人と……。

    あるいは、地元の人に話を聞くと、音頭の練習を始めたと言っておられた。

    盆踊りは廃れつつもあるし、流行りつつもある。
    地域内で小さく行われる盆踊りは高齢化や子どもの少なさなどで年々縮小しているようだが、かたや賑わっている盆踊りはどんどん賑わいを増している。
    地域行事としての盆踊りから、よそから人を集める集客コンテンツとしての盆踊りへの転換期にあって、その過程を体現しているのが高島おどりなのかもしれない。
    どんな風に成長していくのか、今後も注目せざるおえない。

    なんか、元は神奈川県出身で今は千葉県在住の女性がいて、どういうゆかりで高島おどりと縁ができたのかは聞きそびれたが、どうしても雰囲気を味わいたくてわざわざスタッフとして参加しに来たそうだ。
    それだけの魅力があるんだろうなぁ。

    あとは、我々のようなよそ者が踊り子として成長していけば、次の段階へと上っていくと思うんだよなぁ。
    ああ、もっと楽しくなるなんて、鼻血出そう。

    だから、おっくうがらず参加せよ。

    以上。

  • 長距離の人生

    長距離の人生

    生きるセンスもないし、走るセンスもないのだが、だからこそ苦労を言語化できるというメリットはあると思う。

    拙者はランニング歴が15年くらいになりそうだが、いまだに平均よりは上という程度の走力で、走るセンスがない。
    センスのある人がたまにいて、そういう人らは特に練習してないのに速く走れるのだ。本能的にか、幼少期の経験か、骨格か、筋肉か、何か分からないが、たまにいる。

    そもそも、拙者はセンスがない上に頭も悪い。
    走ることを甘く見ていたのだ。
    まず、走ることは難しいと捉えるべきだった。

    人間は幼少期の頃から走る機会に遭遇する。鬼ごっこしたり、野犬から逃げたり、駆け込み乗車したり、河原の道を自転車で走る君を追いかけたり。
    誰しもが走る経験があるので、走ったら走れる、という認識をみんな持ってる。
    だがこの考えは甘かった。

    このところ拙者はペラ底シューズと呼んでいる、ソールの薄いランニングシューズを履くようになった。購入当初は盆踊りでも使えるかもと思った。

    しかし走ってみると、めちゃめちゃ足にダメージがくる。足首が痛いし、ふくらはぎがキンキンになる。
    「何だこれは! 不良品やないか!」
    と、しばらくは考えた。
    だが、調べてみるとフォームを正せばダメージが減ると知った。
    そして、恐る恐るペラ底シューズで走るうちに、フォームがどうあるべきか、着地の際には何を気をつけるべきかなど、走り方が分かってきた。
    いまだに速くは走れないのだが、以前より疲れが残らなくなってきたのである。
    どうやら太ももやおしりの筋肉が使えるようになってきたらしい。
    長く速く走れる人や、毎日長距離を走れる人は超人だと思っていたけれど、自分とは違う筋肉で走っていたのだと理解した。

    機能的なシューズに守られていたことや、しかしそのために悪いフォームが温存されてきたこと、長距離を走るには一番太い筋肉を使うしかないことがよく分かった。走るのは難しいのだ。
    短距離走だったら全身のあらゆる筋力を動員して速さを競うのだと思うが、長距離では使うべきじゃない筋肉があるようだ。
    あるいは若いうちなら、無茶な走り方でもダメージを避けられ、回復も早かったかもしれないが、40にもなれば気をつけないと取り返しがつかないくらい駄目になる。

    人生も長距離だよな、って思う。
    短期決戦や若いうちなら、自分の全部を注ぎ込んで無理して勝てたかもしれないが、同じようにやり続けるのはかなりしんどい。
    長時間動かせる筋肉みたいな自分の能力は何なのか?
    それは、ずっと楽しく続けられること、ずっと考えてても飽きないこと、異常に集中できること、そういうのかなぁ。
    拙者は生きるセンスもなくて、いろいろと甘く見すぎるところがあるのでなんでもやりたがるが、一番太い部分を使って生きねばなぁと思っているところ。
    逆に、弱い部分を使わずに生きねばならないのかもしれん。

    以上

  • 失敗にウジウジするタイプの君はどう生きるか?

    失敗にウジウジするタイプの君はどう生きるか?

    失敗が続いている。
    3回も失敗した。
    あなたは失敗にどう向き合う?

    拙者は失敗したらウジウジするタイプである。
    抹茶飲んで、平等院に行って、源氏物語を読むくらいウジウジする。(それは宇治やろ!)
    いっぱい後悔して、反省して、考察して、失敗が頭から離れない。
    失敗にこそ心を奪われると言って良い。

    逆のタイプの人もいるのかな?
    失敗したらさっさと諦めて、次のことに取り組める人。
    アカン向いてねぇ、って捨てていける人。
    上手くいくことだけをやり続けられる人。

    合理的に考えると、上手くいくことだけをやればいいと思うんだよなぁ。
    今の世の中は貨幣を介在させた分業社会だから、何らかお金を稼ぐ手段があれば、食料を生産しなくていいし、料理もしなくていいし、薪割りとかしなくていい。

    しかし、苦労がないと物語性がなくてつまらないという面もある。
    多くのストーリーは一度は窮地に陥るものだ。大人気マンガのONE PIECEでも、主人公のルフィは何度か負ける。それでも最後には勝つので感動がある。
    こないだ見た推しの子でも、自殺にまで追い込まれる女の子がいて、キャーーとなったが、その後に……。
    小さな頃からそういった物語を摂取して育った人々は合理性よりも物語性で進路を選んでしまうのかもしれない。

    あるいは完璧主義。
    失敗すると、自分の欠点のように思えて、そんな自分を許せない。
    自分なら出来るはずだと、小さなことにこだわってしまう。

    あなたは失敗にどう向き合ってます?

    ちなみに拙者の失敗はニワトリの孵卵。要するに卵を温めてひよこを孵すこと。
    前述の通り、3回も失敗した。
    こう書く時点においても、何が失敗の原因だったかを考えてしまい、ウジウジしてくる。
    茶だんご食べて、萬福寺に行って、響けユーフォニアム読むくらいウジウジする。(だからそれは宇治やろ!)
    温度変化のせいか? 転卵の頻度や角度が悪いか? そもそも卵が悪いか?

    当初はニワトリを飼いたいところから出発しているので、他にも方法があるのだ。成鳥を買うとか雛を買うとか。
    しかし、一度、卵からひよこがピヨピヨ出てくるイメージを浮かべてしまうと、他の方法だともう満足できない。
    どれだけ失敗を積み重ねても、孵したい。
    孵卵王に俺はなる!

    と、こんな風に小さなことに囚われているのだ。

    こんなところで足踏みしてる場合じゃないよなぁと思っているので、失敗への対応のしかたを変えるべきかな? 上手くいくことだけをやるべきかな? さっさと諦めるべきかな?
    「諦めたらそこで試合終了ですよ」
    という、スラムダンクの名言もあるのだが、これは物語だからこそのセリフではあるまいか?

    どう思います?

    とにかく拙者の頭の中は、マンガに支配されていることがよく分かった。
    最近のイチオシマンガは「ダンダダン

    以上

  • 生活者は食材と未来を探す

    生活者は食材と未来を探す

    最近は生活者としてのレベルを上げている。
    と言うと聞こえは良いが、ただの休職中。
    しかし、生活者としてのレベルを上げて、自分の生活にこそ自信を持ちたいな、と思うようになった。
    まだ道半ばなので、苦労はしている。

    生活者としてレベルが高いとは、何を指すのか?
    これは勝手なイメージだが、「そっちの生活のほうが強え」という感じ。
    例えば、薪ストーブとエアコンを比べると、薪ストーブの方が強え、という勝手な判定。
    当然異論はあると思うのだが、誰かの判定に従う必要はなくて、価値観や美意識が求められるわけだ。

    実際に生活力を上げた実例を挙げる。
    庭の梅を収穫して、それを漬けてみた。庭の梅を食える状態にするなんて強え。

    家庭菜園では負けていることが多いのだが、それでもサンチュを何度も収穫しているし、バジルをちょっと採ってきてパスタに散らすと旨い。

    パスタ、スパイスソルト、トマト、バジルとシソ、オリーブオイル。シンプルでハマる。

    他にはエダマメとキュウリとアスパラを育成中。

    手作りの味噌を仕込んだのは1月のことで、そろそろ使える状態になりだす頃だ。
    手作りの味噌に鶏肉や豚肉を漬け込んでから焼くと、芳醇な味になる。

    焦げやすいので弱火で焼く

    脱プラごみがきっかけで、お米は玄米を買ってきて、昔買った精米機を稼働させて、精米したてのお米を炊くようになった。めちゃめちゃ旨い。
    更には糠が出るので、これでぬか床を育成中である。

    あと、これも脱プラごみがきっかけで、野菜や玉子の購入先を探求し、いい産直自動販売機や、モールドパックで売ってるたまご屋さんを見つけて、調達レベルを上げている。

    300円

    緑茶が買えなかったら困ると思って、ドクダミや柿の葉でお茶を作ったりもした。

    柿の葉を干して刻んだところ

    生活者レベルを上げて、なにがどうなるの?
    と言われると、なんてこともないのだが、視点によっては良いことは多い。

    地産地消度がすごく上がった。
    地域で育まれたものを食べることは、どこぞで作られたか分からんものより、安心であるしエコロジーでもある。

    まちづくり視点でも使える。
    脱プラごみをすると大量生産品が買えなくなって、大手の商品が買えなくなる。この点、大手スーパーより昔ながらの八百屋が存在感を増すし、大手の肉屋は特別対応をめんどくさがりやがる(実体験)けど、個人商店ならプラパック無しとか喜んでやってくれそう。
    だから、個人商店に優位性が生まれ、地域活性化に使えそう。

    あとはゲーム感覚。
    買えない商品が増えるからこそ、買える商品を発見する喜びが増す。

    このように、スポットライトの当て方によっては色々と使える。

    売ってるものは買ったほうが早いし楽、という考えを支持しているのだが、機会を奪われてないかは気をつけた方がいい。
    味噌は買えるのだが、そろそろ食べ頃になるかなワクワク、という気持ちは買えないのだ。

    まだまだ志半ばである。
    有精卵を温めてニワトリを孵そうと思っているが、まだまだ紆余曲折がありそうだ。
    肥料無しで野菜を育てる方法はまだ模索中。
    豚肉と鶏肉は買ってみたけど、魚はまだ買ってない。

    まだレベルを上げる予定。
    目指すものがあって、そこそこ楽しい。

    以上。

  • プラごみゼロから始める異世界生活

    プラごみゼロから始める異世界生活

    人それぞれ美意識が違っていて、それが容姿やファッションに出る人もいるし、食生活に出る人もいるし、音楽やアートに出る人もいるだろう。
    拙者の場合は、ゴミを出さない生活に美意識を感じるところがある。ゴミを出すのが美しくない。
    だから、最近はプラごみゼロを目標としだした。
    その結果、なにが起こるかというと、餓死しそうになるのである。

    みんなも一度はプラごみゼロを意識して欲しい。そしてスーパーに行って、食料を買おうとして欲しい。7割くらいの商品が買えなくなるのだ。
    肉や魚、野菜、惣菜、漬物、レトルト食品、あらゆるものがプラ包装されていて、ほとんどカゴに入らない。周りの人たちは気にせず買っているのに、自分だけが買えない。
    まるで異世界に迷い込んだかのように唖然とする。欲しい物が手に入らない。
    豆腐、納豆、油揚げなどは全滅。味噌も買えなくなる。主食の米もプラ包装で、玉子もだいたいプラ。
    このようにプラバリアーを突破できない人になると、餓死しそうになるのである。

    それでも、Nakedな野菜は存在する。トマト、ブロッコリー、大根、アスパラガス、キュウリなどは裸のままで売られることもあり、とても嬉しくなる。
    瓶入りの醤油は売っていたし、紙袋入りのお茶も売っていた。豆乳も買える。
    ただのスーパーなのに、まるで宝探しのようだ。

    あそこなら、玉子を裸で売ってくれるんじゃないかと思って行ってみると、わざわざプラ容器に入れられて買えなかったり(時間帯によるのかもしれん)。野菜の自動販売機なら包装されてないかと思いきや、だいたい丁寧に包まれているのである。
    色々と事情があるのかもしれんけど、昔の八百屋みたいにカゴで置いといて欲しい。

    あの竹田のじねんと市場だったらどうかな、とダンジョンを攻略するように視察に行くと、紙袋に入った米、緑茶、モールドパックの玉子を手に入れた。こういう時にファンファーレが鳴る。
    買えるものが増えて、マップが広がる。

    あるいはランニング中に、袋に入ってない野菜の自動販売機を見つけた。めちゃめちゃ嬉しかったし、中のトマトも美味しかった。

    デメリットとしては、不便になる上に高くつく。
    たとえば米なんて、5kg1700円で買えたのが2700円になったりするし、玉子も10個250円で良かったのに380円になったりする。醤油もしかりだ。

    でもこれは、ゲームへの参加料と捉えることにする。
    この脱プラごみはエコとかSDGsとか、言ってもいいのだが、どっちかと言うとゲームなのである。
    生活の難易度を高めて、その攻略を楽しむという、日常を使ったゲーム。

    たとえば、リアル脱出ゲームというアトラクションがあって、それはわざわざお金を払って部屋に閉じ込められて、謎を解くことによって部屋から脱出するというエンタメなのだが、かなり楽しい。
    あるいは登山などは、行かなくてもいい場所にわざわざ行く。
    スマホゲームなんかも、やらなくてもいいことをピコピコやるのである。
    これらを楽しめるか楽しめないかは人によるのだけど、共通する部分としては難易度を高めるということだ。そこに達成する喜びが生まれ、楽しくなる。
    ゆえに、プラ包装の商品は買わないと意識するだけで、生活の難易度が上がり、攻略する喜びが増え、楽しくなるのである。

    プラごみゼロの冒険譚はまだ始まったばかりで、肉や魚はまだ買っていないし、玉子も養鶏場まで行ってみてはどうかと考えている。醤油なんかも一升瓶で買うと更にレベルが上がるかもと思ったり、味噌も樽で買えば攻略できるかもしれん。
    ワクワク。

    時間にゆとりがないと参加できないゲームやけど、他のエンタメにカネを払うくらいなら、生活の質が向上する上に娯楽要素が増えるので、参加してみてはどうでしょう?

    以上。

  • 人妻から3対3で飲もうと言われ、応じた顛末と青春

    人妻から3対3で飲もうと言われ、応じた顛末と青春

    ここ数年は普通の飲み会というものをあまりやらなくなっていて、それはコロナ禍のせいでもあるし、「登山+飲み会」や「ラン+飲み会」など趣味をスタート地点にした方が楽しいと思っているからである。
    それなのに、人妻から「実は友達と会う予定があるのですけど、そちらでも友達を集めてもらって飲み会をしませんか?」という提案を受け、困惑した。小さな怖れも感じる。なにせ、1度しか会ったことがない正体不明の相手だからである。
    だが、断らない。
    最近飲み会が多すぎる、メンバー集めるの面倒くさい、人妻と飲んで何かが起こってしまうのも面倒くさい、などという気持ちなのだが、「いいですね、やりましょう」と返事をしてしまうのである。

    相手が3人なのでこちらも3人だなと思って、2人だけ集めれば良かったのだが、日程が1週間切ってたし、飲み会の主旨が微妙なライン。というのも、出会いを目的にされるとガッカリされるかもしれんし、かといって他の目的も不明瞭であるし……、ガツガツしてなくて、トーク力があって、相手に不愉快を与えない安全な男性。
    思い当たった何人かに連絡してみたが、断られたり微妙な返事だったりして、途中からめんどくさくなってくる。
    さらには人妻側でも友達たちはめちゃめちゃ乗り気というわけではないと聞き、この話は無しになる可能性もある。
    知らんわー、となるのだけれど、拙者は不確定要素のある方が楽しくなるレベルに達しているので、「二次会から合流できたら合流する感じでどうですか?」と人妻にお伝えしてプレッシャーを取り除く。こちらはこちらで一次会が楽しくなるようにメンバーを募ったところ(人妻と会うことを伝えない)、3人で良いのに6人になった。
    はい、カオス。

    こういう状況で当日を迎えて、オモシロいけど展開が読めなくてソワソワしてくる。だが、拙者より展開が読めないのは、参加したメンバーの方だったろうな。
    店名に地名と生き物の名前がついている飲み屋に集まり、この後に人妻と会うことになってる、と情報が漏れた時の反応は、鳩が豆鉄砲をくらったよう、と言うか、登山している時にゴメン帰り道わからんくなった、と言った時のような反応で、そんなの聞いてない、と言ってくるので、「展開が分かってることだけに参加してたら、ぜんぜんおもんないやないか。Keep going!」とコンサルみたいな謎英語を使って、有無を言わせず泥舟に乗せる。

    さて一方、人妻の方は友達の説得も終わり、9人入れる居酒屋を予約するという手際の良さを発揮し、拙者はそのメールを受け取った時、驚きと感動を覚えた。

    参加者それぞれがミステリーを抱えて、飲み会の会場や、メンバーや、人妻に会うことがちょっとづつ明らかになったが、まだ人妻の友達は未婚か既婚か、もしかしたら男性の可能性もあり、二次会会場で待つ間、飲み会なのにみんな無口になっていた。

    そしていよいよ、正体不明の3人が会場に到着するのである……。

    つづく!

    と、引っ張りたいところだが、このまま書く。
    無茶苦茶な女たちが現れた、というのであれば更に筆を振るうのであるが、3人とも既婚だというのは速攻で判明したし、気さくで喋りやすかったし、こちら側のメンバーも喋りやすそうだったし、普通に楽しい飲み会だった。
    酒の提供速度が遅いとは感じたが、思っていたより楽しくて、時間の感覚がなくなって、知らん間に終電が終わっていた。人妻たちの方も近くのホテルにみんなで泊まるような会だったらしく、終電を気にしなかったし、土曜だし、朝まで遊べそうな勢いで盛り上がった。

    みんな昔からの友達みたいな気安さで、会う前のソワソワ感が嘘みたいだったな。
    緊張と緩和。最高のエンターテインメントだった。

    出会い、打ち解け、盛り上がり、しかし終宴を迎え、女性陣とはさよならし、鴨川に出て、花火をした。
    煙少なめで音も出ず本数も少ない大人の花火をしたわけだが、少年のような青春時間。
    おっさんを自認しておるが、これからもこういう時間をどれだけ過ごせるかが勝負なのかもしれん。

    この夜はあまりにも楽しくて、今後もよく知らない女性との飲み会が実施されるポジションにいるにはどうしたらいいのかなぁ、今から準備できることあるかなぁ、と頭に浮かんでしまって、馬鹿馬鹿そんなことに人生を使うな、と頑張って消火せぜる負えない。
    なかなか消えない花火の残像。

    ちなみに飲みすぎて、家まで歩いて帰って、寄り道して牛丼食べたり、コンビニで焼き鳥を買食いしたり、そんな夜が心地よかったけれど、だいたい楽しい飲み会は、何かが失くなったり壊れたりするもので、案の定、スマホの画面が割れていた。
    背中の傷は剣士の恥だけど、スマホの傷はあの夜の思い出ってことで、しばらくは大事にしておこう。

    また近いうちに合コンしたいなぁ……。

    以上。