農地が欲しいなぁ。
ジジイになったら野菜を育てて、家畜を可愛がって、体を動かしながら生きていきたいなぁ。
観光農園的にもして、キャンプも出来るようにして、たまに人が集まる感じにしたいぁ。
と、また夢想している。

拙者は相変わらずここではないどこかでの生活を夢見ているし、今の自分ではない何者かに憧れる。

最近までは、ジジイになったら大衆食堂をやるのがいいなぁと思っていた。
小説家になれたらいいなぁとも思っているし、1kmあたり5分を切って走りたいなぁとも思っているし、トライアスロンも完走したいし、ちょっと地図を広げると白山に登ってみたくもなってくるし、300人でフォークダンスを踊る夢もあるんだよな。

こんな風に焦点を絞れずに、あれやこれやと手を出して、結局成果も出せぬまま、夢の残骸が残っていく。現実に飲み込まれていく。
ディスプレイの前には片時もいたくないのに、結局は社会から必要とされる技術はIT系のようで、PCの前から逃れられない。Webサイトのメンテナンスであくせくした。

だから冒頭の、農地が欲しいなぁ、というのは現状からの逃げなんじゃないかと思う……。

でも、この記事を書こうと思ったのは、夢想するのはいいじゃねえかと結論づけたからだ。

まずは、人が作ったコンテンツに興じるよりも、夢想するほうが少し上。
今の時代はいくらでもコンテンツを浴びれる。指先を動かせば動画を見たり、文字を読んだりできる。それらで感動するのも良いが、自分自身で想像力を膨らませて夢中になることは、主体性があって良い。自分の人生を生きるってのは、自分の意志があってのことだからな。

夢想するより上なのは、ちょっとでも行動につなげることだ。
行動の積み重ねによって知恵が育まれるし、自信もつくし、失敗もあるけれどそれが学びになる。
行動しないのは下の下だから、行動に結びつく夢想は積極的に広げるべきだ。
拙者は農地が欲しいなぁと夢想して、金を貯めるとか、より高い収入を目指すとかはしないダメ人間だけれど、ニンジンの種は買ってきた。
ニンジンの栽培経験が役に立つかどうか分からんけど、行動しないよりはマシ。

一方で、現実に飲み込まれるのも悪くはない。
必要とされてるってことだし、これも生きるってことだ。

現実に飲み込まれる自分も、夢想する自分も両方OK。
行動する自分も、夢想だけに終わる自分も両方OK。

ちなみに、ニンジンの種を蒔こうと思ったけど、畝のサイズを広げねばならないらしく、炎天下のせいで挫折した。
とほほ……。

以上。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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