人それぞれ美意識が違っていて、それが容姿やファッションに出る人もいるし、食生活に出る人もいるし、音楽やアートに出る人もいるだろう。
拙者の場合は、ゴミを出さない生活に美意識を感じるところがある。ゴミを出すのが美しくない。
だから、最近はプラごみゼロを目標としだした。
その結果、なにが起こるかというと、餓死しそうになるのである。

みんなも一度はプラごみゼロを意識して欲しい。そしてスーパーに行って、食料を買おうとして欲しい。7割くらいの商品が買えなくなるのだ。
肉や魚、野菜、惣菜、漬物、レトルト食品、あらゆるものがプラ包装されていて、ほとんどカゴに入らない。周りの人たちは気にせず買っているのに、自分だけが買えない。
まるで異世界に迷い込んだかのように唖然とする。欲しい物が手に入らない。
豆腐、納豆、油揚げなどは全滅。味噌も買えなくなる。主食の米もプラ包装で、玉子もだいたいプラ。
このようにプラバリアーを突破できない人になると、餓死しそうになるのである。

それでも、Nakedな野菜は存在する。トマト、ブロッコリー、大根、アスパラガス、キュウリなどは裸のままで売られることもあり、とても嬉しくなる。
瓶入りの醤油は売っていたし、紙袋入りのお茶も売っていた。豆乳も買える。
ただのスーパーなのに、まるで宝探しのようだ。

あそこなら、玉子を裸で売ってくれるんじゃないかと思って行ってみると、わざわざプラ容器に入れられて買えなかったり(時間帯によるのかもしれん)。野菜の自動販売機なら包装されてないかと思いきや、だいたい丁寧に包まれているのである。
色々と事情があるのかもしれんけど、昔の八百屋みたいにカゴで置いといて欲しい。

あの竹田のじねんと市場だったらどうかな、とダンジョンを攻略するように視察に行くと、紙袋に入った米、緑茶、モールドパックの玉子を手に入れた。こういう時にファンファーレが鳴る。
買えるものが増えて、マップが広がる。

あるいはランニング中に、袋に入ってない野菜の自動販売機を見つけた。めちゃめちゃ嬉しかったし、中のトマトも美味しかった。

デメリットとしては、不便になる上に高くつく。
たとえば米なんて、5kg1700円で買えたのが2700円になったりするし、玉子も10個250円で良かったのに380円になったりする。醤油もしかりだ。

でもこれは、ゲームへの参加料と捉えることにする。
この脱プラごみはエコとかSDGsとか、言ってもいいのだが、どっちかと言うとゲームなのである。
生活の難易度を高めて、その攻略を楽しむという、日常を使ったゲーム。

たとえば、リアル脱出ゲームというアトラクションがあって、それはわざわざお金を払って部屋に閉じ込められて、謎を解くことによって部屋から脱出するというエンタメなのだが、かなり楽しい。
あるいは登山などは、行かなくてもいい場所にわざわざ行く。
スマホゲームなんかも、やらなくてもいいことをピコピコやるのである。
これらを楽しめるか楽しめないかは人によるのだけど、共通する部分としては難易度を高めるということだ。そこに達成する喜びが生まれ、楽しくなる。
ゆえに、プラ包装の商品は買わないと意識するだけで、生活の難易度が上がり、攻略する喜びが増え、楽しくなるのである。

プラごみゼロの冒険譚はまだ始まったばかりで、肉や魚はまだ買っていないし、玉子も養鶏場まで行ってみてはどうかと考えている。醤油なんかも一升瓶で買うと更にレベルが上がるかもと思ったり、味噌も樽で買えば攻略できるかもしれん。
ワクワク。

時間にゆとりがないと参加できないゲームやけど、他のエンタメにカネを払うくらいなら、生活の質が向上する上に娯楽要素が増えるので、参加してみてはどうでしょう?

以上。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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