カテゴリー: これからの生き方

  • 寝る前に空虚さが広がって、ブログを書く

    寝る前に空虚さが広がって、ブログを書く

    今日は夕方に13kmほど走って、なかなか疲れて、いつもだったらビールを飲むのに、戒律のせいで飲めない。
    「自宅での独り酒」を禁止しているのだ。
    自宅じゃなく野外ならセーフだが、冬の気温がそれを許してくれない、そこそこ汗もかいてる。友達を無理やり家に呼ぶことや、どこかお店に飲みに行くことも考えられるが、そんなことをするくらいならさっさと風呂に入りたい時間帯。
    喉の乾きのままにビールをグッと飲んでぷは~となるあの感覚を、今日は味わえてない。

    そしてまた、贅沢な料理も戒律で控えており、夕食はいつも通りにご飯と味噌汁とだし巻きで、とても美味しかったのだけれど、今日みたいな日は肉の脂が欲しかったな、と思ったりする。

    食後に時間が空いたからと、頼まれていたWEBの更新に取り掛かろうとしたものの、「それってやる意味あんの?」というような指示がきていて、拙者はすぐにイラッときて、一旦保留にしようと決めたので、なんとなくスッキリしない。

    あと、IDとパスワードを忘れたサイトがあって、ログインできない。

    なんだかなぁ。
    別に不幸でもないけど、愉快ではないなぁ。

    まぁ、幸せを探せば幸せなんですよ。
    例えば、足首の調子は良くなってきて、阿弥陀ヶ峰まで走っていって、暗くなりそうな時間に下山して、躓きそうでハラハラしたけど、無事に戻ってこれたこと。
    湯船に浸かりなが読む森絵都サマの文章が大好きで惚れ惚れすること。
    自作の薪ストーブはちゃんと部屋を暖めてくれること。
    こうしてブログをつらつら書けること。

    だけれど、終わっていく1日実感する寝る前は、なんだか空虚な気持ちになっていく。
    ああそういえば、今日は誰とも一言も会話をしていない。
    ランニングで行った伏見稲荷では外国人観光客を抜き去って、女坂や東福寺駅近くでは女子高生を抜き去ったけど、荒い息で足音をペタペタと鳴らしただけで、誰とも会話をしていない。

    こういう空虚さや孤独さを燃料にして、小説を書けたらいいなぁと思いつつ、ブログを書くことにしたのはなぜなんだ?

    こんなんでいいのかなぁ? と思ったからだな。
    何か爪痕残さなきゃ、と思ったからだな。

    シフトしきれてないんですよね。
    空想を愉しむ生活に。
    酒をやめて、人との交流も少なくて、TVもYouTubeも見なくて、これといった勉強もせず、すごく空虚。
    これを赤毛のアンばりに空想で埋めようと思っておるのですが、なかなか上手くはいきません。

    明日はちゃんと愉しめるようになろう。
    エイエイオー!

    では、お布団に入って、空想に浸ります。

    以上です。

  • 何が自分の幸せですか? これが私の幸せですよ。

    何が自分の幸せですか? これが私の幸せですよ。

    昨日、人間にできることは整理整頓、という記事を書いたので、今年やりたいことを整理整頓をしようと思いました。
    拙者はとっちらかったまま、長期計画がなく、衝動的な勢いで行動することが多いのですが、志向の整理整頓には意味があるのだろうか?
    とにかくやってみよう。

    何が自分の幸せですか?

    ・人から感謝をされること
    ・後から思い出せるくらいの嬉しさを人から与えてもらうこと
    ・自分の価値観に沿った生活を送ること
    ・自分で生み出した物語の中を漂うこと
    ・踊ってスパークすること

    そうなるために何をしますか?

    ・好きなこと、得意なことをする
    ・気の合う人と仲良くなる
    ・価値観を磨く
    ・修行する
    ・想像する
    ・素敵な踊り会に行くor主催する

    具体的には?

    好きなこと、得意なこと
    ・踊り
    ・文章
    ・コミュニティイベント企画、実施

    気の合う人と出会い仲良くなる方法
    ・興味のある社会人サークル的なものに出没していれば出会える
    ・なければ自分でサークルを作る
    ・旅トーク会は引き続き実施

    価値観を磨くには
    ・世間一般の価値観から外れる強さを持つこと
    ・行動によって価値観を強化する

    修行項目
    ・修験道してみる
    ・野菜の自給自足、鶏を飼いたい
    ・トライアスロン出走を目指す
    ・10kmを50分切りで走れるのを目指す
    ・戒律を守る

    物語の創作
    ・観察、読書、執筆を生活に取り込む

    素敵な踊り会
    ・盆踊り会実施、音頭取りも務めてみたい
    ・機を見てフォークダンス会実施を狙う

    とまぁ、整理してみたが、これが拙者の幸せだろうか?
    やりたいことは、映像で思い浮かべるタイプなので、意味ないかもしれんなぁ。
    映像で浮かべた足りないものをコツコツ補っていくようなのが、拙者のやり方のような気がする。

    人と協力し合うものであれば、文章化が役に立つかもしれんけど、上記のようなプライベートなことって、今日はこんなふうに思っているよ、という意味でしかないかもね。

    意味はないかもしれんけど、整理整頓はしてみました。
    人間らしくなってきたかもしれん。

    以上です。

  • 人間にできることなんて整理整頓くらい説

    人間にできることなんて整理整頓くらい説

    クリエイティブに生きたいと思っておるが、自然と接しているうちに「人間にできることなんて整理整頓くらい」と頭に浮かぶ。

    拙者は平均的な現役日本人に比べると、自然に触れ合う機会が豊富であるし、自らそうしようとも思っている。
    一日中空調の効いた部屋にいて、ディスプレイに向かって仕事し、料理もスイッチ操作のみというような生活はしたくない。木を燃やして火力を得て、自ら獲得した食材を調理する、体を動かした後に旨い飯を食う生活がしたい。
    田舎暮らしや小屋暮らしに憧れつつ、現状はそこそこ住宅地に住んで、家庭菜園を管理し、薪を割ったりしているのみだ。

    少しでも理想に近づこうと、草ボーボーの場所を畑にしたところ、とてもキレイになった。整然としてて良い。

    小松菜畑

    また、生木を切って雑に置いておくよりも、きちんと割って並べたところ、とてもキレイになった。整然としてて良い。

    薪棚

    これらにより、人間なんて整理整頓くらいしかできないんじゃないか? 自然の方が圧倒的に生産的だ。クリエイティブだなんて馬鹿じゃねえの。生産的だと思っていることは実は余計なことなんじゃないか? などと考えた。

    結局のところ人間など、自然が生産してくれるものの恩恵を受けているに過ぎない。食料しかり、エネルギーしかり。

    今や多くの現代人が無駄な仕事をしている。
    わざわざ社会制度を複雑化させて、それを処理する人を生み出したりしている。
    たいして必要のないものを作り、たいして必要のないものを買う。経済が回ればそれで良しなどと言いながら、自然から収奪し続けている。
    いらんことせんでええんちゃうか?
    整理整頓さえしとけばええんちゃうか?

    などと考えながら、畑を拡大するために、土を掘り返したり、それを運んだりする。
    土を掘り返すと、野鳥が寄ってくる。
    むき出しになった大地には餌になる虫が出てくるのかな?
    庭に野鳥と二人きり。
    たぶんモズだと思われる。そこそこかわいい。
    拙者が土を掘り返しても何も生み出さないけれど、モズの役には立ったようだ。

    クリエイティブってなんだろうな。
    拙者は作品を生み出したいという意味で使ってる。
    でも、モノを生み出す時は何らかの素材の組み合わせだし、小説を生み出すのも言葉や文節やエピソードの組み合わせなんだよなぁ。
    それって、基礎にあるのは整理整頓だよな。

    自分は自分の思考を整理整頓できているのだろうか?

    いっつもぐちゃぐちゃやな。

    雑然としたままで、本日のブログを閉じたいと思います。

    以上です。

  • 2023年抱負「他力本願と土づくり」

    2023年抱負「他力本願と土づくり」

    あけましておめでとうございます。
    と、言ってるうちに正月気分になってきました。

    今年は特別なお誘いをいただいて、清水寺で除夜の鐘を撞くという年明けになり、ごおお~んという波動により穢れが取り払われたようです。年明け0時の清水寺境内はどこを見てもあまりに美しく、天界に昇ったかのようで、2023年は早くも最高潮に達しました。
    お誘いいただいたS氏には大いなる感謝を抱き、またビールを奢っていただいたJ氏、同行してくれたH氏、清水寺の僧侶の方々や警備に方々、とてもありがとうございます。

    その後、清水寺から八坂神社に向かう道中、振袖姿の女子たちが前方を歩いていて、どうやら清水寺にもいた子らで、ナンパじゃないけど声をかけたのです。こんばんは~、と。
    まぁ、拙者は若い子らを相手に気の利いた会話などできませんので、「着物で寒くないんですか?」と聞いたところ、か細い手をスリスリしながら「寒いです」とのこと。
    「ほな、抱きしめたろか」と、昔はよく言ったものですけど、会話が寒くなった時に持ち直す馬力はもう失われてしまいました。
    「二人組の子らに1つしかないなぁ」と思いつつも、使っていないカイロを差し出したところ、「きゃー、ありがとうございます」って、花束を渡した時のような喜びが返ってきて、静かな夜道が明るくなりました。
    お役に立てて光栄でした。
    こんな風に、感謝したり感謝されたりしながら、生きていきたい。

    他力本願で幸せになる

    拙者は現在42歳でございまして、数え年であれば43歳になります。
    すでに若者時代は終わりました。
    これまでは能力開発が大事だと思い、自分の力でどこまでできるのか?と、チャレンジをし、達成する喜びが確かにありました。
    だけど今では、自分はスゴイ、自分はこんなことができるんだって、振り返ってみても、なんだか虚しくなる。
    そもそも自分で自分を喜ばすために生きることが、面倒くさくなってきています。
    幸せなんて所詮は思い込みなんだよなぁ、わざわざそれを求めるのってめんどくさいなぁ、と。

    だからもう、自分で頑張って幸せになるのはやめたい。
    その代わりに他者に幸せにしてもらおう。そして大っぴらに感謝しよう。
    すごい人など目指さず、敗者のままでいて、誰かのお陰で生きていこう。
    他力本願という良い言葉がありますので、まさにそんな感じ。

    土づくり

    庭で野菜を育てようとすると、そもそも土づくりが大事だよなぁと実感します。
    しかしこれは、農業に限ったことではない。

    これを実感したのは、2022年の盆踊り活動においてですが、大文字サイレント盆踊りやニセ祇園祭りを実施するにあたって、信頼関係とか経験とか目に見えない部分、云わば良い土があるから決行することができた、と感じました。
    やりたいからやるという性質のものではなくて、土台の上になりたっているのです。

    例えば小説家になりたいとするならば、書き上げた小説が必要で、そのためには書く技術、書く時間が必要で、アイデアなども必要ですけど、その前にもっと必要なことがあります。
    それは創作を喜べること。
    書くことを愉しめる人じゃないと続けられない。
    愉しむことが土の部分です。

    このように、どうやって幸せになるか、何を愉しみ、何で悦ぶか、それらを選び取る力をつけることが人生のおける土づくりかなぁと考えております。

    戒律で幸せになる

    幸せを選ぶ、と言えば、現代社会では本能のままに生きれば幸せになれるほど単純ではない。
    旨いものを食い続けると肥満や糖尿病になるし、自己顕示欲を満たそうとすれば周りから人が去っていき、楽すれば楽するほど弱くなるし、金で解決すればするほど人間関係が薄っぺらくなる、社会環境と人間の本能が合わなくなっている。

    拙者にも本能的というか享楽的に「楽しかったらOK」という時代があったのですが、そういった刺激にも慣れてしまって、今では逆に「修行」みたいなのを好む節がある。

    例えば現在は真冬ですが、石油ストーブもエアコンもあるけれど、手作りの薪ストーブを稼働させて暖をとっています。
    これはとってもとっても不便で、一番は薪を用意するのがたいへん。
    生木だと割って1年以上は乾燥させないといけない。
    だからせっせと薪を割る。たいへんだ。
    しかしこの苦労に修行性があって、愉しさを感じれるので不思議です。ちょっとゲームっぽいのです。パッカンと真っ二つになるのが気持ちいいし、もっと上手くなりたいとも思う。

    このように何かをやらないことによって、喜びが見いだせるかもしれない。

    だから、
    ・自宅での独り酒をしない
    ・批判することによって上に立ったような気にならない
    ・コーヒーを飲まない
    ・贅沢な料理で幸せにならない
    と、このような戒律から始めようと思います。

    欲しい物を手に入れる喜びと、戒律を守り通す喜びは、同じなのか? 違うのか? 違うなら何が違うのか? を見極めたいと思います。

    小難しいぞ!

    というわけで、全体を通して、小難しいことを考えている。
    だから、若い女の子を相手に気の利いた会話ができない。

    しょうがないので、カイロをポケットに忍ばせて、街に出ていこうと思います。

    以上です。
    本年もよろしくお願いします。

  • やりたいことをやるには、やっぱ勉強が足りてないんかもな~

    やりたいことをやるには、やっぱ勉強が足りてないんかもな~

    登山したことありやすか?
    登山ってその人のレベルによって行ける道が限られる。
    初心者は経験者に連れられて1000mくらいの高低差を上って下りるみたいな感じかな。
    中級者になれば、地図やアプリを頼りに1人で冒険できる。
    上級者というか、拙者の山の師匠は登山地図に載ってないルートを発掘して楽しんでいたりする。
    たまに、誰も歩いた跡のない荒れた地に連れて行かれるので、「道ないじゃないっすか! こんなん猿の道や!」と文句を言います(笑)
    まぁ、それ以上の超上級者もいることでしょう。

    要するに、レベルによって行ける道が限られるし、レベルが低いと道の存在も分からない。
    ということが言いたいのだ。
    実社会においても……


    一昨日、創業を志す人々の飲み会があった。勉強会とも言えたし、懇親会でもあった。
    なぜ拙者がそんなグループに所属しているのかは省略。
    (なんせ、あんまし創業など志してないからなぁ)

    拙者は飲み会ガチ勢なので、飲み会を全力で楽しむことに集中する。
    開始2時間前に会場近くの銭湯に行き、荷物を預ける。
    身軽な体でランニングする。鴨川沿いを11km。
    走り終えたら風呂に入って汗を流す。
    この状態で、飲み会に突入。
    なんとビールの旨いこと!
    この甲斐あって、創業の志は低いのに、テンションだけは最も高いヤツになれた(笑)

    上記の通り、飲み会を楽しむために行ったのだが、創業経験者のお話を聞くと、「それってすごいよね」と、思いの外に学びと気付きがあった。
    「拙者の知らない道を知ってる」てな感じ。

    1人は、カフェバーのオーナー、のみならず、食品販売や観光関連の事業もやっているとのことで、それだけでもすごいが、社会問題へのアプローチも同時に行っておられるようで、「ひょえぇぇ」と感心だった。

    もう1人は、ネットのニュースで読んだことがあるお店だが、完全量り売りのスーパーのオーナー。
    「ゴミを出さない!」そのためにどうするか?
    取引先などにも協力してもらって、物流資材などは返却したりして、システムを構築しているそうだ。
    自分の価値観を元に、既存の価値観に抗うのが、めちゃめちゃカッコよい。
    ご本人もほとんどゴミの出ない生活をされてるとのことで、ガチ勢。

    お二人の話を聞いて、価値観を元に展開するビジネスの事例が身近にあって、ときめいた。
    かっこいいビジネスが存在するんだ!

    周りを見渡すと、働けば働くほど、金を儲けようとすればするほど、環境に負荷がかかるビジネスが多すぎる。
    金持ち=簒奪者 とするのは、強引すぎるけれど、さほど役に立たない・本質的ではない・マーケティングやなんかで無理やり売りつける、そういうのが多くて、拙者は創業なんてぜんぜんやりたくなくなっておった。
    小説家は無理だし農家になるか~、などと考える日々だった。

    だが今回「自分の知らない道があるかもしれない」と気づいた。

    「やりたいことをやろう」と声高にプッシュされる時代だが、知らないことはやりたがれない。
    コントラダンスがめちゃめちゃ楽しかったとしても、多くの人はその存在を知らないし、やりたがれない。
    同じように、価値観をのっけるビジネスの手法を拙者は知らない。
    これは、勉強が足りないのかもしれない。
    勉強というか、実学?
    カッコいい人に会って、直接質問したりする勉強は何と言う?
    ソクラテスメソッド?
    徒弟制度?
    とにかく、そういうタイプのラーニングが足りない。


    それを知った今、拙者は、
    その道行けんの?
    多くの人が歩いてない道やけど、行けんの?
    と、思ってて、
    世界が広がるかもしれんので、ちょっとワクワクしている。

    山道を歩むように実社会を踏破できるかな?
    分からんけど、道があるなら歩いてみたいと思う。

  • 最近の生きるテーマは「阿呆になれ」です

    最近の生きるテーマは「阿呆になれ」です

    京都にも1年ぶりの秋がやってきて、紅葉が山を彩り、人々は寺社を巡る。
    夏が終わるのが嫌だ嫌だ、と思っているうちに季節の変わり目が訪れ、風邪気味になり、ようやく冬支度を整えるのが毎年恒例。
    気持ちは徐々に冬モード。盆踊りを楽しみにする日々よ、さようなら。

    心の切り替わりとともに、今の自分の価値観を書いておきたくて、一言でいうとそれは「阿呆になれ」だ。

    自分の頭で考えない!

    そこそこ歳を重ねてきて、脳の働きが鈍ってきている。同時に欲求が高まらない。
    拙者は40歳を2年も過ぎて、そろそろオニイサンと呼ばれることに違和感を感じるお年頃になり、思考力と言うか、シミュレーション能力と言うか、脳の力が衰えてきた気がする。
    それとともに、あらゆる欲求が低くなる。食欲・性欲・自己顕示欲が修行僧レベルになった。肉を食べたくなくなったし、異性との肉体関係よりハグくらいがちょうど良い気がするし、俺を知れ!俺の文章を読め!と燃えなくなった。
    老いてきたとも言えるし、老成とも言える。

    だからといって家に閉じこもるのはストレスだ。人は人とのコミュニケーションが不可欠だし、昨日と同じような今日は生き甲斐がない。
    そこから脱出するため、何かしよう、有意義なことをしよう、とにかく家を出て人の役に立つことをしよう、
    などと考えるのであるが、前段の通り思考力の低下と意欲の低下に苛まれ、体が動かない。活力を持って外に出られない。
    しかも世の中はどんどん便利になり、家から出なくても良い理由ばかりが増える。
    例えば、紅葉など見に行かなくてもSNS上の誰かが共有してくれる。人と会わずともzoomで済ませられる。
    近くにコンビニはあるし、食事も家まで配達してくれる時代だ。
    体を動かせば動かすほどコスパが悪いとされ、時間を費やせば費やすほどタイパが悪いとされる。
    なんだか死んだ状態こそが最も効率良いみたいになっとるな。

    それは違うよな。
    だから拙者は自分に言い聞かせる。
    「阿呆になれ」

    フィジカル優先

    現代社会は体を動かせば動かすほど儲からない。
    プログラミングなどを勉強し、あるいは投資家になり、頭を動かす人がお金持ちになれる。

    それは知っとるんだが、1日中ディスプレイの前にいて、腹をデブっとさせて、健康のためにジムに行く。汗が出ず水分の循環が悪いからサウナに行く。
    それが効率的なのか?
    腹は出てる、姿勢は悪い、それが幸せな人間の姿なのか?

    体を動かして働き、美味しいご飯を食べればええやないか。

    拙者は今年の1月に足首の靭帯を損傷し、運動できない日々が続き、ものすごくストレスだった。
    この経験により、体が動かなくなるまでは体を動かして生きようと決めた。
    メタバースなどに自分を投影したくはない。
    非日常体験は自分の体を使って経験していく。

    頭を使うな、体を使え、
    「阿呆になれ」

    土づくり

    秋になって、畑をやり始めた。
    土を耕し、小松菜の種を蒔いた。小松菜は雑草レベルに強くて、良いレスポンスを返してくれる。

    野良仕事の面白さもさることながら、花や実は結果にすぎないことを学べる。コンクリートに種を蒔いても芽は出ない。
    土づくりが大事だ。

    人間も同じくで、成功者と言われている人達の情報が日々入ってくるのだが、それって花や実の部分を見せられているわけだ。
    花や実を真似ても、同じようにななれず、すぐに枯れてしまう。
    本当に大切なのは土の部分。
    成功者のように振る舞えば成功者になれるんじゃない。

    結果と過程、どちらが大事か? みたいな話があるが、もっと根底の土づくりから楽しめるようになるべきだと、最近は思う。

    何が育つかわからぬ土を耕す。
    「阿呆になれ」

    エコロジー

    地球温暖化と聞く。
    円高、およびウクライナショックで食品価格の高騰とも聞く。

    だけど、これまでが異常だったんじゃないか。
    小麦が高いなら米を食え。
    輸入飼料が高くて畜産が成り立たないのも、輸入に頼っていたのがおかしい。
    ブラジル産の冷凍鶏肉がずっと国産鶏肉より安かったのだが、ブラジルから運ばれるものが安いって、ずっと異常だと思っていた。

    これらの異常さはこれから問題とし噴出してくるだろう。
    安いとか効率が良いからと、マネーで蓋をしていた問題が明るみになるだろう。
    循環型社会、エコロジーについて本気出さねばならぬ時だ。
    (芸術作品は汚すな!)

    無理なく生きよう、自然とともに生きよう。
    テクノロジーやコンビニエンスは人を幸せにしない。
    それはいずれ当たり前になり、価値が失われるだけだ。

    化石燃料を使わず、不便さを許容しよう、人力で乗り越えよう、
    「阿呆になれ」


    と、全体的に自然派な価値観で生きて、それを生活の中で実践して、また価値観が強化されるような、ポジティブ・フィードバックを生み出したい。
    キャンプ道具を買うから、またキャンプに行きたくなる、キャンプに行くと道具が欲しくなる。みたいな価値観と実践のループを日常生活に染み込ませたい。

    それが拙者の望みです。


    あと、こんな風に自分の価値観を語って、本当にめんどくさい奴だなとも思う。興味の対象は自分だけか! って。
    いやいや、絶えず他者への興味を持ち続けようと思うよ。
    たとえ自分が関心を持たれなくても、関心を払い続けようという決意でいます。
    文章力を人や事柄を褒め称えるために使いたいと思っておる。

    そんな目論見をもって、寒い冬を乗り越えていきますよ。

  • 土と共に生きる暮らし

    土と共に生きる暮らし

    「天空の城ラピュタ」というアニメ映画があります。
    亡き父の夢を追う少年が空に浮かんでいるという伝説の城「ラピュタ」を探す冒険譚。
    物語の中のラピュタ王国は、すごいテクノロジーを駆使して地上を支配したことになっているのですが、なぜだか滅んでしまっている。
    これについてヒロインは「土から離れては生きられない」と語っています。

    さて皆さんはどうでしょう?
    土を意識する環境にありますか?

    都市部では土が邪魔者扱いされており、コンクリートやアスファルトで覆われています。
    最近の戸建住宅では、庭を作ると手入れが大変だからとコンクリートで覆うらしい。
    確かにその通りで、ちょっとでも土があると油断も隙も無く雑草が生い茂ります。
    現代人は雑草と戦う時間などない。

    不思議ですよねー。テクノロジーが発達して、色々と便利になっているのに、それでも時間がないなんて。
    何に時間が奪われている? もしかして、灰色の男か?

    まぁ、人それぞれでしょうね。
    ある人は仕事に追われ、ある人は子育てに追われ、勉強に追われ、ゲームに、コンテンツ消費に……。多様化してるから分からん。
    でも、とにかく庭を維持する時間はないようだ。

    ですけど拙者は、土と共に生きる暮らしをオススメしたい。
    別に、農家になれと言ってるわけではなく、庭を維持しようという主張だ。

    1番の理由は生ゴミです。
    周りに土がある場合、埋めとけば自然に処理が進む。ミミズが食べてくれる。ゴミ袋で置いておかなくて良い。
    家庭用コンポストで堆肥化するのも良いのですが、それをするなら庭や畑が欲しくなるはず。
    生ゴミを集めて焼却処理するのは、運搬コストがかかる、焼却コストがかかる、たまにカラスがゴミを散らかす、臭い。
    たくさんの無駄がある。
    一方で、庭に埋める処理をすれば、ゴミを出す頻度が減るし、社会コストが下がるし、庭が豊かになる。

    人口減少社会で、田舎には土地が余っているし、コロナ禍とネットの普及で都市に住むメリットがどんどん低下している。
    庭のある家を持つのは、簡単になっている。

    あとは、円高・物価高で食品なども値上がりが続くと思われる。
    庭で野菜を育てたり、鶏を飼ったりすると、そういう時代にも強く生きられる。
    今こそ、土と共に生きる生活にシフトすべきじゃないかと、啓発したいのだ。
    (実は、自分をね。)

    資本主義社会って、自然と欺瞞だらけになるんですよね。
    都会のタワマンを売るとたくさん儲かるので、たくさん宣伝がなされる。本質的な価値がなくても売れる。
    しかし、ちょっと不便な場所の中古住宅を売ってもあんまり儲からないので、宣伝はされないし流通にものらないのです。
    本当にお得な物は宣伝なんてされない。
    自分で見つけないといけない。

    本当の豊かさは、どこかで売ってたりしない。
    自分で見つけないといけない。

    そんなことを主張する拙者だが、庭は草ボーボーになるまで放置していた(笑)

    涼しくなってきたので、やっと切り開く決意をした。
    やりだすと楽しくて、畑にした。

    そして、小松菜のタネを蒔いた。

    芽が出てきた。
    嬉しい。
    この喜びを豊かさとしよう。

    最近は、ネット社会が発達しすぎてしまって、VRとかメタバースとか、どんどん土から離れて、ラピュタ化しているんじゃないかと危惧している。
    ネット上で注目を浴びるとお金になるし、フォロワー数が力でもあるし、若い女の子はテーマーパークで下着まがいの写真を撮る。
    それも含めて、「怒りコンテンツ」とも言うべき、誰かを批判させるためのコンテンツが流れてくる。
    なんか、ネットもうダメなんじゃ無かろうか?

    こうなったら、土だ、土だ、土と共に生きよう。

    小松菜、食べれるかなぁ~。
    愉しみ。