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  • 地下足袋で比良山に登るとどうなってしまうのか?

    地下足袋で比良山に登るとどうなってしまうのか?

    登山靴は高い。しかも使用頻度が少ない。
    安いものもあるかもしれないが、安物買いの銭失いという言葉もある通り、山中で足が痛くなったら最悪だ。
    だから拙者は登山靴を買えない。

    とはいえ、これまで比良山にはよく登っていた。
    滋賀県西部にある比良山系は駅から気軽にアクセスできる上に、琵琶湖が見下ろせて最高なのである。
    そんな1000m級の山にどんなシューズで登っていたかというと、トレランシューズ。
    登山靴に比べてトレランシューズは安いし、身軽さを求める拙者にはちょうど良い。
    水に浸かったり(渡渉)できないのが難点ではあるが、そんな道を選ばなければ良いのである。
    ただし、買い替えの時期にきていた。

    最近、トレランはかなり流行っている。ランニングサークルで話を聞くと、みんなトレランも好んでいる。ゆえにシューズのラインナップも豊富になっている。
    新しいものを買おうか、以前のものがmontrail、次はasicsで良いかな、と思っていた。
    しかし、気が進まない。
    地下足袋で良いのではないか?

    拙者は去年から地下足袋型のランニングシューズを履いており、最初は足にダメージを受けて、「不良品や、もうやめや」と思っていたが、それは走り方やフォームに問題があると知って、徐々に修正した結果、ダメージが軽減されてきた。
    前よりも強くなったのだ。
    それゆえ、登山においても同様の思考が働く。
    ただし足袋型のランニングシューズでは底が薄すぎるし、シューズ自体にダメージを受けると思い、なにかトレランに向く地下足袋はないのかと調べた。
    すると、ほどほどに底の厚い地下足袋が存在している。

    地下足袋にも色々あって、底の厚さが違う。
    コスチューム用のペラペラのやつから、エアーが入っているものまである。
    素足感もありつつ、そこそこクッション性もある地下足袋。トレランに向くのはまさにそういうもの。

    地下足袋は登山靴より、トレランシューズよりさらに安い。

    こうして拙者にとって地下足袋はトレイルの定番になり、比叡山まで行ったり、将軍塚までみんなで走ったりしたのである。
    ちなみにではあるが、路面によっては足がめちゃめちゃ痛い。石がゴロゴロしている山道はそこら中にある。足つぼマッサージだと思って耐えるしかない。外傷にまでは至らないし、途中で穴が開くとか底が剥がれるとかはないので信頼できる。
    そしてついに、比良山に挑む日がきた。

    これは2023年11月11日の話で、山の師匠の登山会が招集され、ハーフマラソンも控えているのでトレーニングにちょうど良いなと参加した。
    女性も含む10人くらいのチームで登るのでペースは普通くらい。
    なので、地下足袋登山には最適だ。
    とはいえ、山の師匠に「山を舐めるな」と怒られやしないかと心配しつつ家を出た。

    朝が早すぎたので、バイクで登山口まで向かう作戦。別件があってお酒が飲めないのでちょうど良い。
    登山口でメンバーに会うと、やはり「なんで地下足袋なん?」と言われたが、拙者は「山を傷つけないため」とやや上級者ぶった回答をすると、「カッコいい」と好評であった。
    山の師匠も「マタギは地下足袋や」と、驚きの高評価で、拙者も『ありなんやぁ』と安心したところである。
    確かに地下足袋だと、鹿にめちゃめちゃ近づけたりするんだよな、奈良でもないのに。

    さて、地下足袋で登山してみた使用感だが、上りはめちゃめちゃ具合が良い。軽快であるし地面と足が密着して安心感を感じるほどである。イン谷口から金糞峠のルートであったが、すごく足袋に向いていた。
    一方の下りの方はというと、雑な足取りになれないでやや苦戦。接地を気をつけないといけない。尖った石などの上に着地すると痛いのである。ゆえにスピードは出せないし地面を見るので姿勢も悪くなる。でも下山の際はそのくらいの慎重さが必要かもしれん。

    結論としては、拙者の登山スタイルでは登山靴が必要なく、地下足袋で丁度よいと判明した。
    マタギが地下足袋なのは認識してなかったが、山伏は地下足袋なので登山には向いているのである。
    なので、みなさまも地下足袋登山にチャレンジしてみてはいかが?
    ちなみに普段からの修練が必要なので、いきなりはやめておこう。

    お金が無いから登山靴を買わないのではないのだよ、山を傷つけないためさ。

    以上。

  • なんでもついばむ所存

    なんでもついばむ所存

    ここ3年ほど小説家になりたかったし、なんらかを積み重ねればなることも可能なんじゃないかと思っていた。
    しかしすでに終わっている。小説家になる前に、小説を書けなくなった。書きたいという動機が湧いてこない。
    これから時が経てば、創作の物語を書きたくなる日が来るかもしれないが、職業としてそれをするには至らないだろう。
    誠に残念である。これは挫折である。

    夢を失ったあと、あるいは恋を失ったあとなどは空っぽになってしまうもので、拙者は特にやる気のない日々を送って、半年くらいが経ちそうだ。この間、体調不良もあったし、死ぬんじゃないかと思っていたし、一方で体を動かして遊ぼうというコンセプトは忠実に実行し、生活習慣も見直し、かなりの元気さを取り戻しつつある。
    いや、自分は元気だと過信してはいけない。自分は体が弱いから頑張って鍛えるんだ、という状況が一番良い。

    体を動かす仕事がいいなぁと考える。ディスプレイに向き合う仕事はやめたい。新鮮な空気の吸える仕事が理想だ。
    もう10年以上前になるが、どこかのIT系の社長が「今の時代は体を使えば使うほど儲からない」と書いていて、拙者は「そうだよなぁ、頭を使って、ネットを駆使して働かねばなぁ」と肝に銘じたわけだが、実際にWebサイトを作ったり、コードを書いたりしてみた結果、さほど喜びがなかった。
    Webの技術で人の役に立つこともあるのだけれど、Web上では拙者の夢は拡がらない。

    しかし社会はどんどんWebに飲み込まれていくし、色んなものが自動化されていくし、稼げなくなる仕事もどんどん増えるのだろう。特に体を使う仕事はどんどん機械に奪われていくのだろう。PCに向き合ってコードを書くか、マシンオペレーターになるかして、ディスプレイからぜんぜん離れられない社会。
    ディスプレイの奴隷である。
    拙者はそういうのから逃げようと思っているのだ。

    こうして拙者はヒヨコを眺める。庭でぴよぴよと色んなものをついばんで平和そのものだ。ニワトリやヒヨコが悠々と歩き、早朝には激しく鳴けるような環境に身を置きたい。
    農業かな、林業かな。
    農業なら完全に循環型の農業がいいな。養鶏しながら田畑と野菜を育てていきたい。
    林業なら何ができるかな。毎日森林に入れるだけで満足できそう。
    あるいは、里山のカフェとかもいいなぁ。スイーツを作ってネット販売したり、卸したり、イベント出店などすれば、生きていける気はする。
    土を眺め、ヒヨコを眺め、このようなことを夢想するのである。
    小説家になりたい夢想と、あんまし変わらんなぁ。

    ヒヨコたちを眺めていると感心する。とにかく何でもついばんで一旦はくちばしに含んでみる。食べれそうなら食べるし、無理なら捨てる。それを何度も繰り返す。
    拙者もヒヨコを見習って、四の五の考えずに、とりあえずついばんでみようと思うのだ。
    農業も林業も里山カフェも全部ついばんでみればいいじゃないか。

    でもそれは、今の環境でできることをやってから。
    まずは勉強しておこう。有機栽培の方法や、スイーツを作るトレーニングならこの場所でもできる。
    ニワトリは40羽まで増やせる。
    町中でしかできない仕事やダンスもある。
    とりあえずついばもう。
    ピヨピヨ。

    以上。

  • 【player募集】GPS鬼ごっこ(2023.11.25)

    【player募集】GPS鬼ごっこ(2023.11.25)

    GPSを使った鬼ごっこをやるので、遊びたい人は応募して。

    GPS鬼ごっこは過去に何度か挑戦していて、楽しいけれど問題があった。
    1回目は結局のところ走力勝負になってしまって戦略性が足りなかった。
    2回目はそこそこ複雑なルールを用意して上手くいったけれど、交通事故の可能性を感じたので次は出来なかった。
    参加者からは好評だったのでなんとか新ルールで出来ないかと3年も考えて、この度、やる気になった。
    諸条件が揃った気がする。

    車が来ない広々とした場所でやれば良いのでは?
    3チーム作って攻守交代すれば良いのでは?
    ゲームが成立しなかったらフリスビーで遊べば良いのでは?
    このアイデアで実施してみることにする。

    GPS鬼ごっことは

    我々のGPS鬼ごっこは、各プレイヤーがGPSを確認しながら追いかけたり逃げたりするのではなく、指示する役を入れるのがポイント。
    実際に走る人と、GPSを見れる人が別に存在するのだ。
    走る人は鬼ごっこを楽しめて、GPSを見る人はスマホゲームのように楽しめる、とても面白い仕組みを採用している。
    ゆえに、走るのが得意な人も苦手な人も一緒になって楽しめるわけだ。

    3チーム制

    蛇(ヘビ)、鼬(イタチ)、鼠(ネズミ)に分かれる。
    昼と夜がある。
    昼は蛇が鼬・鼠を狙う。鼬は逃げながら鼠を狙う。鼠は逃げる。
    夜は鼬が蛇・鼠を狙う。蛇は逃げながら鼠を狙う。鼠は逃げる。
    昼と夜に誰も捕まえられなかったら、鼠の勝ち。

    必勝法がないように願っている。

    3チーム制にするとプレイヤーの人数が必要になる。どしどし応募して欲しい。

    御所で遊ぶ

    京都において車が来なくて広々とした場所を探したところ、京都御苑が良さそうだと思った。ジャリジャリの道で全力疾走できる。
    鬼ごっこをするだけなので、皇宮警察本部もスルーしてくれることだろう。

    候補地は他にもあるけれど、まずは京都らしい場所で遊ぼうと思う。

    大会概要

    日時2023年11月25日(土)13:30~
    会場京都御苑(中立売御門集合)
    地下鉄今出川駅が最も近い
    会費1000円(おやつタイムあります)
    雨天中止
    持物ネットに繋がったスマホ。
    走る人は走りやすい格好で。
    スマホを操作したり走ったりするので落とさない工夫を。

    参加連絡

    走る役と指示する役があるので、走りたくない人も大丈夫。
    どちらを希望するか書いて連絡プリーズ。
    AndroidかiPhoneかの情報も下さい。
    メールはこちら→お問い合せ

    好奇心旺盛な人たちが集まることを期待している。
    では、よろしく。

  • のらぼん、とは?

    のらぼん、とは?

    コロナ禍がきっかけで途絶えた文化があると思う。
    途絶えるものは人知れず終わるのだ。うら寂しき世の無常。
    盆踊りもコロナ前と踊りが変わった話を聞くし、京都に範囲を狭めてもコロナ以降開催していない地域の踊り方は忘れ去られてしまうかもしれない。

    拙者はこういうものに関してクールであるので、滅ぶものは滅んでしまえと思っている。
    少子化Japanであるし、あれもこれもと言ったところで受け継ぎ手がいないのである。
    映像化しとくのが関の山だな。
    少子化対策に力を入れない点において、現政権を支持できない。ぜんぜん保守じゃない。

    悲しむなかれ、滅ぶものもあれば生まれるものもあるはずだ。
    コロナ禍がきっかけで生まれた文化がそろそろ芽吹く時期かもしれない。
    盆踊りについて言うと、コロナによってのらぼんが活発になったらしい。

    のらぼんとはなにか?
    検索すると出てくるが、野良の盆踊り。
    公園などに盆踊り愛好者が集まって、勝手に踊る会をのらぼんと言うようになりつつあるらしい。
    コロナ禍で盆踊りの中止が相次いで、勝手に集まって勝手に踊る文化が生まれた。
    自分らで曲流して、唄って、踊ったらええじゃないか、と。

    京都において拙者がやり始めたサイレント盆踊りも、まさしくのらぼんであるし、こないだ実施した踊れや唄えやの盆踊り練習会も、まさしくのらぼんであった。

    練習会は9/22(金)に実施したが、鴨川デルタにおいて、6人が集まって、自分たちで唄う唄、掛け声で踊った。江州音頭、炭坑節、ドンパン節をやった。
    日が落ちだす時間の河川敷は良い風が吹いて、夕涼みと踊りを兼ねたような雰囲気で、いいムードだった。
    本来の夕涼み勢にとってはうるさくて申し訳なかったが、あくまでも自分たちの発声が届く範囲の小規模であるので許してくれたまえ。

    拙者の感想としては、唄いながら踊るのはめちゃめちゃ体力を消耗するので、めちゃめちゃ練習が必要だと思った。
    他の参加者は声出しながら踊ると楽しい、と言っていた。
    道具をほとんど使わずに楽しさを生み出すのであるから、人間パワーの最大出力である。
    その結果、何が起こるかというと、パラパラ雨が降ってきた。
    だいたいいつもこうだ。

    のらぼんというのは、原点回帰なんだろうな。原初の盆踊りスタイル。
    原点から見れる奴は強い。あらゆるものに根があるし、枝葉を追うには多すぎるし。

    のらぼんというフレーズを聞いて、拙者も大きな流れの中に存在しているんだなと感じる。
    コロナ禍でスタートを切ったのは我々だけではなかった。
    どこかで同じことを考え、実施した仲間たちがいるのだ。これはとても勇気づけられる。
    我々もこの方向で進んでいこう。
    盆踊りは活況なり!

    以上

  • 盆踊り視点 踊り子サイドと主催者サイド

    盆踊り視点 踊り子サイドと主催者サイド

    近江商人は「三方良し」を理念に商売したと聞く。
    「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三方。
    自分視点で生きて自分の主張を曲げないのも強いけれど、多視点で状況判断する方が、最終的には信頼を得られ、生きやすくなる。

    先日、拙者は盆踊りの主催者サイドに立ってみたところ、踊り子サイドとは違う価値基準があると発見した。
    拙者のように経験値の高い盆フェスダンサーは主催者サイドから歓迎されると思っていたが、それは勘違いであった。
    邪魔になるときもある(笑)

    踊り子サイド

    踊り子はそれぞれに志向が違うので、欲求には強弱があるし、明確に語る人も少ないので、ここは主に拙者の視点で語らねばならない。

    ・良い音響で踊りたい
    ・生音頭なら上手い人がいい
    ・上手く踊ってほどほどに注目を浴びたい
    ・スペースが広々してるとありがたい
    ・おなごが浴衣姿で踊るのを見たい
    ・踊りの上手い人がいると燃える
    ・屋外で大騒ぎしたい
    ・事前に曲目が分かると嬉しい

    拙者は上記だが、他の人は

    ・仲間と踊りたい、仲間を増やしたい
    ・ナンパしたい
    ・自分が中心になって踊りたい
    ・トランス状態に入りたい
    ・学んだ踊りを披露したい
    ・音頭取りさんのファン

    などの欲求があろうかと思う。また、経験によって求めるものが変わることもある。
    さてもう一方の主催者サイドはどうだろうか?

    主催者サイド

    主催者にも色んな思惑があると思うが、拙者が仕切った小さな盆踊り会を想定する。

    ・とにかく1重の輪が成立するくらいの人を集めたい
    ・見本になってくれる人を集めたい
    ・かといって、ガチ勢ばかりを集めたいわけじゃない
    ・地域の人や初心者が輪に入りやすいようにしたい
    ・盆踊りとして映える雰囲気を作りたい
    ・浴衣を着て欲しい。特に女性の浴衣は華々しくて良い
    ・子どもたちに踊って欲しい。ほのぼのとして良い絵になる
    ・最初から最後まで踊って欲しい
    ・曲を選り好みしないで欲しい
    ・経験者が一斉に輪から抜けないで欲しい
    ・見本になれる人は連なって踊らないで欲しい。適度に散って踊って欲しい
    ・途中で踊りを変える場合は目立たない場所でやってほしい
    ・掛け声を出して盛り上げて欲しい
    ・見てる人に「どうぞ輪に入って」と声をかけてくれるとすごく嬉しい
    ・華々しい踊りを披露してくれる人がいると嬉しい

    とにかく主催者視点では、最初から踊ってくれるとか、ずっと踊ってくれるとか、周りに配慮できるとかが重要で、踊りの上手さの価値は低い。
    初心者に分かりやすい踊りをしてくれて、そういう踊り子数名をスタート時間に集めてくれるような人が一番ありがたい。

    このように、踊り子サイドと主催者サイドでは価値基準が違っている。
    いや、価値基準がピッタリ合う組み合わせもあるし、全然合わない場合もあるんだろうな。
    実例を上げると、京都左京区の熊野寮やかもがわデルタフェスは主催者が熱狂を求めているようで、拙者との相性はめちゃめちゃ良い。
    かたや、上七軒とかは雅やかすぎて合わないし、規模が小さな会で本気出すと場を呑んでしまいがち。愛を持って欠席、という判断が必要になってくる。

    あるいは、主催者側は惰性で盆踊りをプログラムに入れている会もあって、そもそも盆踊り自体へのやる気がなかったりする。
    盆踊りのイメージが悪くなるのでさっさとやめてほしいが、付け入る隙がないか狙ってみたいところではある。

    とまぁ、話が少しそれたけど、踊り子側は踊りの上手さに価値を置きがちだけれど、主催者側から見るとそこはあまり重要ではないということが発見であった。

    「踊りの上手さは関係ないよー、みんなで踊れるだけで価値があるんだよー」
    と、今後はみんなに声をかけようと思う。
    拙者はこうして主催者側の視点にも立ち、同時に踊りの上手さも求めていくのである。
    やっぱり浴衣姿のおなごの注目を集めたいわけなので、神話のような踊りを目指していく所存。
    テヘヘ。

    以上。

  • FIRST TAKE だったイズミヤ六地蔵盆踊り

    FIRST TAKE だったイズミヤ六地蔵盆踊り

    100点満点よりも及第点のほうが、次の回を楽しみにできるんちゃうかな。守りに入らなくていいから。

    2023年9月3日(日)、イズミヤSC六地蔵店の盆踊り会が実施され、拙者が選曲とレクチャーを担当し、無事にその役割を終えた。
    この会は初開催で、客層や雰囲気の予測が立たず、明確なプログラムもなしに挑んだので少々グダったのだが、臨機応変に良いチョイスができていたと思う。
    大事なことを学び、そして次への希望を抱けている。
    とても良い状況である。

    イズミヤ六地蔵店はここ最近、地域の人々と連携したイベントの開催に力を入れておられる。毎週のように無料のミニコンサートが行われ、そこそこ観衆も集まっているようだ。
    その延長で、夏に盆踊り企画ができないかと館長は構想し、人に相談し、古い音楽仲間から拙者に話が振られ、二つ返事で「私がやります。適任です」とお答えしたのであった。
    サイレント盆踊りやニセ祇園祭などの盆踊り企画を経験し、そろそろゲリラじゃないヤツもやりたいと考えていたところだった。

    これは盆踊りシーズンが始まる前の話で、いざシーズンが始まってみると拙者は色々と複雑な心境になってくる。
    京都の盆踊りは玉石混交で、楽しいのもあるし、ただ消耗するだけのものもある。無理やりにテンション上げざる負えないこともあるし、連絡先を交換したと思った女性から一度も既読がつかずに無視されることもある。
    そういった色んな状況と体調不良も重なって、あまり盆踊りに前向きになれなくなっていた。引退も考えた。
    なにより見本になってくれる踊り子を集めるのも骨折れる。
    こういう心理を抱えたまま、どんどん開催日が近づいてくるのである。

    さらに不自由なこともあって、こちらから提案した時間と店側から返ってきた時間が違っていたし、キッズダンスの先生も演者に組み込むと言われ、これは想定外で「やっぱゲリラが向いてるかな」と考えたほどである。

    しかし、引き受けた以上は責任を果たさねばならぬ。

    迎えた当日、ショッピングセンターのエスカレーター吹き抜けの広場に音頭と拙者の声が響いた。
    結果としては及第点。合格ラインは超えていた、と考えている。

    序盤は子どもたちも巻き込んで2重の輪になっていた。具体的には30名弱の人たちが踊り、会場のスペースいっぱいの規模になっていた。

    また、キッズダンスの先生との連携も上手くとれて、こちら側も先生にマイクを渡した後は一時的に緊張がほぐれて良かったと思っている。

    しかし後半は縁日ブースに子どもたちが流れていき(そういうタイムスケジュールが組まれていた)、内輪向けの選曲をせざる負えなかった。ゆえに発表会的な感じになってしまったが、最善であったはず。

    頑張って覚えたジャンボリミッキーも子どもたちが集まってくるほどではなかったが、輪を囲んだ人たちはみんなよく踊れていたし、とても楽しめた。

    一応セットリストを書いておくと。
    ・炭坑節(2回)
    ・江州音頭
    >キッズダンスの先生によるオリジナル音頭
    ・かわさき
    ・ドンパン節
    ・ダンシング・ヒーロー
    ・炭坑節(リクエスト)
    ・春駒
    ・河内音頭(手踊り)
    ・ジャンボリミッキー
    ・炭坑節(リクエスト)
    たしか順番はこんな感じだったと記憶している。

    とにかく初めての開催で手探り状態。そんな中でもやりきったし、嬉しいこともあったし、課題も見つかったし、それは次への希望になっている。

    最も嬉しかったのは、有能な仲間がいると再確認できたこと。
    見本となって踊れる人が自分含めて4人で、これは最適な人数だった。櫓の四方に散れば隙がない。
    ジャンボリミッキーやるよ、と言えば履修してくれるし、周りの人に「どうぞ輪に入って~」なども自然に配慮してくれる。
    大阪の遠いところから尊敬すべき盆踊らーも来てくれて、拙者が見本に踊る必要がなかったほどに恵まれていた。
    人材豊富なので、1人でバタバタ動かずにしっかり役割分担をするのと、協力してもらう役割を増やしていくのが大事だと反省している。祭りってのはそういうもんだ。

    特に反省すべき点は、音楽の再生を人に任せられなかった点だろうか。スマホで再生したのであるが、ロック解除して、選曲して、再生するとそこそこ時間がかかり、その間、場がシーンとなり踊り気が散ってしまうような気がした。
    もっと盛り上がりを作れるはずだ。

    あとは、生唄でいけるだろうと思った。ドンパン節の踊りレクチャーのタイミングで歌詞を諳んじた訳だが、見本になる人も豊富だったしそのまま素謡したら良かったかもしれん。
    盆踊り会で唄や演奏まで担うなら、唄が好きな人も仲間に入れられるのでさらに希望が湧く。

    時間配分にも課題があった。1時間の枠を貰っていたのだが、経験不足によりどの程度レクチャーに配分すべきかが分からなかった。もっと時間を使っても良かった。

    みんなの感想としては、「館内だったので涼しい環境で踊れて良かった」という声を聞いている。
    また館長からは「子どもがこんなに来たのは初めてだ」と聞いたし、その後お客さんから「感動した」「またやってください」と2件の電話があったそうだ。
    光栄である。

    拙者の個人的な感想はというと、久しぶりに会を仕切って以前の自分と再会した気する。
    コロナ前まではフォークダンス会や人狼会などで、場を仕切る機会がたまにあったけれど、最近はやっていない。
    人を前にする程よい緊張感と、濃密な時間の流れの中で頑張って頭を回し、適宜判断をして動くのは、疲れるけれども生きてる実感が湧く。
    またやりたくなってくる。

    他にも踊り手側と主催者側の相違に気づいたが、それは別の記事で論じることにする。

    今回の機会をいただき、自分たちが仕切る会の面白みを味わえて、とても刺激を受けた。
    一般の踊り手よりも選択肢が増えて楽しい。
    踊り手は、頑張って踊るか、頑張って声出すか、他の踊り手と交流するか、どんな服装で行くか、くらいの選択肢しかないのだが、仕切る側は選曲もできるし、それを生演奏でやるかも考えられるし、司会はどうするか、何らかの新しい取り組みはできぬか、などなどに思考を巡らせられるので、妄想が広がる。
    愉快なり~。

    仲間と力を合わせ、練習を積み重ね、来年は5ヶ所くらい仕切れるようにと目論んでいる。
    そんなわけで、今後ともお付きいよろしくお願いします。

    以上。

  • 【募】踊れや唄えやの盆踊り練習会(2023.9.22)

    【募】踊れや唄えやの盆踊り練習会(2023.9.22)

    みんな踊って楽しめばいいのに、、それが一番平和なのに、、と思っているのだが、踊りを阻むものは多い。
    恥ずかしいイメージや、正しくなければならない自己抑制や、不真面目だという世間の目。
    すでにこれらを乗り越えた我々は、踊る暇があったら踊るし、唄う暇があったら唄うのである。
    楽しんだもん勝ちやろう、という価値観を増幅させ、体の中から躍動を生み出し、踊って唄って魂をスパークさせる。
    これこそがAIでは代替不可能なことである。

    というわけで、今以上に盆踊りを楽しむために「踊れや唄えやの盆踊り練習会」を実施することにした。
    練習会と題してはいるものの、これは本番でないという意味。練習とは名ばかり。指導したり強制したりしない。ただただ「その踊りでいいよ」と言うだけである。「上手くなくていいよ、楽しかったらいいよ」と言うだけである。
    何でも楽しんでいるうちに上手くなるもので「之を好む者は之を楽しむ者に如かず」という言葉を引用するまでもない。
    自分に自信のない奴らは正しさを求めがちだが、正しさよりも楽しさである。熱狂こそが正解である。

    概要

    [日時]2023年9月22日(金)18:30~20:30頃
    [集合場所]京阪出町柳駅
    [会場]天候や人の流れで適切な場所を選定
    [内容]盆踊りを踊ったり、音頭を唄ったりする
    [スケジュール]
     18:00~会場選定
     18:30~乾杯や自己紹介
     19:00~盆踊り練習、集中タイム
     20:00~アフターミーティング
    [雨天]決行
    [楽しみ方]踊る、唄う、楽器を鳴らす、ただ酒を飲むetc
    [持ち物]飲み物。汗をかいた時のタオルや着替え。レジャーシートがあると良いかも。あれば楽器。
    [踊りそうな曲目]炭坑節、江州音頭、ドンパン節。その他リクエストにお答えする。
    [会費]初回につき無料

    色々とどうぞ>>お問い合せ

    盆踊りにも楽しい会とイマイチな会があって、それを分けるものは音頭の上手さや音響の良さによるのではないかと思っている。どうしても没入感が変わる。
    そういった外的要因によって楽しさが変わるのはしょうがないことであるが、環境をもろともしない強さが手に入らないだろうか? と考える。

    自ら唄いながら踊ったのであれば常に大音量で、おのれが生み出す振動によってビートを刻めるのではないか。
    これができる人を大量に集めれば、どこにもないものすごい場が生まれる。
    あらゆる娯楽を超えていける。

    楽しみである。

    以上。