こんにちは、グロワラクリよりお送りしますのは髀肉の嘆です。

小屋と甘い暮らし

私は自分で作った小屋で暮らしていたのですが、恋をしたので記事が甘くなりました。

そしてとうとう、小屋に帰る頻度が激減してきたぞ。

そろそろ一緒に住もうかな

今日の記事は近況を整理したい。

最近の私は同棲圧力と戦っている状況です。

私は好きな人と仲良くしていて、彼女の部屋の合い鍵を預かっているので出入り自由。水も出るし、トイレも風呂もある。キッチンも冷蔵庫もある。

かたや私の作った小屋は3畳しかない上に水道もトイレもない状態ですし、職場から1時間以上もかかる。

なによりもこういった利便性以上にそこに行けば好きな人が存在する場所があるのです。

『なぜそこに住みつかない?』と考えるのは当然のことだ。

小屋暮らしだから

理由はほとんどないのですが、「小屋暮らしをしているから。」という、「なぜ山に登るのか>>そこに山があるから。」的な回答しかできない。

いやね、小屋暮らしをやめてしまったら、独身女性の家に転がり込んだ料理上手なオッサンになってしまうので、ちょっとそういう自分を認められない。

呼び出されたりもする

つい先日、頑張って小屋に帰ったのです。彼女に家に行きたい気持ちを振り切って。

そうしたら彼女から電話がかかってきて、「家の中に鍵を置きっぱなしにしたから入れない・・・」とのことで、急いで彼女の家に向かいました。

5日ぶりに小屋に帰ったのもかかわらず呼び出されて1泊もしていないという状況です。

小屋暮らしの物語が進まない

髀肉の嘆

私は三国志が好きなのですが、髀肉の嘆(ひにくのたん)という逸話があるんです。

劉備玄徳劉表の元に身を寄せ平穏な日々を過ごし、戦場に出ないために内ももに贅肉がついてしまったと嘆く逸話です。

私はランニングをしているので贅肉はつかないのですが、去年に小屋暮らしをしようと息巻いていた時よりも明らかに平穏な日々を過ごしてしまっている。

自分史上最高の自分を目指して動いていた私はどうしてしまったのでしょうか。私の冒険の日々はもう終わったのか?

幸せな日々に甘んじるべきなのでしょうか?

予定がなく目標もない

5月の予定が空白です。何も予定がない。

飲み会も、キャンプも、登山も、ダンス会も、人と会う約束が1つもない。

目標もない。

小屋を拡張しようとか、Webで面白いことをしようとか、楽器の練習をしようとか、そういうのもない。

体に贅肉はついていないが、頭に贅肉がついているような。人とリアルな交流をせずにSNSの情報ばかりを追ってしまう。指先だけでアクセスできるのは便利なのだが、生きてる実感が薄れていくんだよな。SNS依存気味だ。

魂をスパークさせたいんだよ。はぁ。

以上、髀肉の嘆でした。まぁまぁ幸せです。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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