お祭り感が足りない。そう思う人はどれくらいいるのか?

こんにちは、グロワラクリよりお送りしますのは、最近足りないものを解明できた話。

コロナに奪われたもの

さて皆さま、お元気ですか?コロナに何かを奪われたりしてます?

私は収入がまぁまぁ減ったけど、支出を減らして何とか生きています。好きな人もいるし、秘密基地もあるし、ランニングや山さんぽもできるし、幸せを実感する機会は多い。

しかし、足りないものがあって悶々としていた。

1つはプールが休業になって、せっかくクロールを頑張っていたのにそれが奪われた。胸筋が成長しつつあったのに、40代になって成長を感じる機会は貴重だったのに。

もう1つは、お祭り感だ。

お祭り感

言語化できてすごくスッキリしたのだが、私はお祭り感を奪われている。

あくまでもお祭りではなく、お祭り感なのだ。

漠然とした表現で申し訳ないが、ワイワイガヤガヤして、テンションが上がっていくあれです。

コロナの前までは手の届く範囲にそれがあったのに。

探し続けて彷徨って

思い返せば、、ずっとお祭り感を求めていた。理想のイベントを探求してきた。

ディズニーシーアトラクションキャストとして働きに出かけたのも365日お祭り感のある場所を求めていたからだし、議員秘書になったのも選挙運動お祭り感にハマったからだ。

アイリッシュ音楽でバンドを組んでいたのもお祭り感のある音色だったからだし、フォークダンスも酒場運営も人狼会もお祭り感を探求していた。

これまでは対面交流の場づくりと称していたが、お祭り感のある場を作りたかったと改めて認識した。

センサー

自分でも気づかないうちにお祭り感を探求してきたので、お祭り感センサーが備わったようだ。

飲み会でもお祭り感のあるのとそうじゃないのがある、お祭りと称されているものでも自分の居場所がなければつまらない。

人狼ゲーム会を開催している時でも「何か違うな。」って思うことがたまにあったのはお祭り感センサーが反応していたんだと理解した。

人狼ゲームのプレイヤーにはいろんな人がいて、競技性を求める人たちあるいは仲良し感を求める人たちが集まると、お祭り感が出ない時があったのだ。

私がやりたかった場づくりはワチャワチャとみんなが踊りだすんじゃないかという空気だったし、そういう時がよくあった。

オンラインでは

オンライン上でも飲み会や人狼会をする動きがありますが、ネット経由では賑わいの波が途切れる感じがする。いいところまでは行くのだがはじけない。アルコール摂取量ばかりが増える。

私の欲しいものは手に入らないんだよなぁ。

失って気づく

コロナ以前なら、気が向けばサルサダンスに行けばいいし、フォークダンス会は主催できるし、夏には盆踊りがある。飲み会でもワイワイやれた。

これらに行きたがった理由は、女性の体に触れたかったわけでも、コミュニケーション欲求を満たしたかったわけでもなく、お祭り感が欲しかったのだ。そしてその場に合わせてテンションをハイにしたかったのだ。

足りない

いま私にはお祭り感が足りない。

そう思っている人はどのくらいいるのだろうか?

オンラインで満足している方々はそのまま続けていただければ良いのだが、現状に不満な人たちと連帯したいな。


とにかく、お祭り感の必要に気付けて良かったです。なんとか自給自足できる方法を考えてみます。

To Be Continued…

募集中のイベントはありません

投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です