こんにちは、wishigrowがワラクリよりお送りしますのは、諦めです。
「夢を叶える方法は、絶対に諦めないことさ!」なんて言うのは正しいと思うのですけど、私は諦め続けている。
それでも生きていこう。
人を幸せにする
私は高校生の頃から「どうしたら幸せになれるのか?」って考えておりました。
1つは欲望を満たすことが幸せです。
しかしこれは、それを満たしたら儚く消えて、次の欲望をまた満たさないといけない。このエンドレスで際限のない状況を幸せと呼ぶのかというと、どうなんでしょうかねぇ?
さらに考えた結果、「欲望を満たすことなく幸せになる方法は、人を幸せにすることだ。」って結論を出しまして、「どうすれば人を幸せにできるのだろうか?」って考えながら20代前半を生きました。
もちろん他のことも考えていたけど、ディズニーシーで働いたのはこういう想いの結果です。「ゲストにハピネスを提供する」って言うからさぁ。
その後、地元京都でハピネスを提供したいと思いまして、まちづくり活動に関わったり、議員秘書をやったり、ボランティア活動をしたりしました。
しかし、夢の世界じゃない現実社会で人を幸せにするってのはそんなに軽いものじゃないのです。多くの社会問題を目の当たりにして思ったことは「自分が幸せにできる人なんて一生かけても一人か二人。」って。
だから、人を幸せにするのを諦めました。
せめて人を楽しませたい
まぁ、幸せにはできないとしても、「ひと時の楽しさなら与えられるんじゃないか。」と思って、二十代後半からつい最近まで頑張ってきた。
15年くらいの間に、色んな事をやりましたよ。
BBQ大会、牛乳工場見学、ボードゲーム、ハッシュハウスハリアーズ、合唱団、バンド、ダンス会、人狼会、酒場。
楽しそうなことがあればとりあえずやっちゃう。そして主催しちゃうってやってきました。飽き性なので続かないんですけど、会の運営とか人との距離感とか、すごく上手くなりました。
しかし、自分が人を楽しませられているか?というと微妙なのです。結局はコンテンツが楽しいんじゃないかと。
で、最近気づいたのですよ。
人は楽しませられるんじゃなくて、自ら楽しむものです。
例えばアイドルのコンサートとかはアイドルが観客を楽しませているんじゃなくて、観客自身が予習したりコールを覚えたりして自ら楽しんでいるのです。
私が主催している人狼ゲームに関しても、プレイヤーがゲームの設定の中で楽しんでるのであって、私が楽しませているのではない。
ダンス会も踊らせているのではなく、ダンサーは自らの意志で踊って楽しんでいる。
「人を楽しませることなんてできない。なぜなら人は自ら楽しむものだから。」これがやっと分かった。
だから、人を楽しませることを諦めました。
燃えかす
私は人を幸せにすることも、人を楽しませることも諦めてしまったのです。
今ここに残っているのはすべてを諦めてしまった燃えかすです。
ふり返ると何もかもを諦めてきた人生だったな。
なんて思いが募りまして、もう何もなくて、最終的には「魂をスパークさせたい。」と思っています。
魂をスパークさせたい
何なんでしょうか?この具体性のない言葉は。
しかし本当に何もない、生きるべき意志というか、進むべき方向が何もない。
残っているものといえば魂しかない。
じゃあせめて魂をスパークさせないとな!って思うのです。
何をすれば魂がスパークするのか?って考えていて、
盆踊りかな?
野外生活かな?
歌ったりするとスパークするかな?
最近は毎日そんな感じです。
以上、色んな事を諦めて魂に至ったという話です。
見てろよ、スパークさせるから!
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