今日は「京都」の話をします。

22:30頃までお喋りが盛り上がってしまって、ブログを書くのが遅くなってしまった。でも書く、あまり意味のないブログを書くのなら、毎日更新しないと本当に意味がなくなってしまう。

で、お喋りとは?何の話題で盛り上がっていたのか?

商店街の話、京都の話、世代交代の話、コンテンツの話、などで盛り上がったと記憶しています。

この中から京都の話をピックアップしたいのです。

なぜ京都に住んでいる人は京都が好きなのか?

これは卵が先か?鶏が先か?みたいな話になりますよね、京都が好きだから住んでいるわけで、あるいは外に出ないわけで、京都に住んでいる人に京都が好きか?と尋ねるならば、8割くらいは好きと答えるのではないでしょうか?残り2割の人はさっさと出ていった方がよろしおすな。

ある人は、歴史があるからと答え、ある人は集まっている人がいいからと答えるかもしれないけど、京都が京都たるゆえんは、地理にあるのですよ。

3方を山に囲まれ、南には川が流れている。この地理です。

四神相応の地だから。というのを持ち出す気はなくて、京都ってきっちりした範囲があるから京都のブランドイメージを保てるのだと、以前から私は主張しているところです。

京都って1つの村みたいなもんなのですよね。友達の友達が友達っていうのは京都あるあるで、初めて知り合った人でも「もしかしてあの人知ってる?」っていうと当てはまる人が多い。

狭い範囲に密集し、他に広がっていないからこそ、こういう事態が多いのです。

コロナの感染状況を考えても、大阪とは文化圏が違うくらいに、狭い範囲にまとまっているわけです。

これを強く思うのは、大津市と比較すると明白です。大津も古い町並みが残っているし、文化もあるのですが、京都と比べて何が違うかというと、共同体意識だと思う。

どこからどこまでが大津なのか?行政区でいうと、北は比良とか近江舞子までが大津市なのですが、比良に住んでる人や堅田に住んでる人に「大津が好きですか?」って聞いても、よその街を指しているように思う。そういう意味で、共同体意識が小さくなる。

奈良に住んだことはないので分かりませんが、奈良も同じような状況なのでは??奈良は奈良市を指すのか、奈良県を指すのかによりますので、共同体意識がバラけると思います。

というわけで、私は京都が京都たるゆえんは地理にある、って主張するわけです。山の囲まれていることと、そのサイズ感が共同体意識を醸成するのにピッタリだったのではなかろうか?

すごく当たり前の話なんですけどね、東京が東京なのは地理だし、福岡が福岡なのは地理。

ただし、京都人の京都人意識ってのは、独特の街のサイズ感にあると思っています。

と、こういう無駄な話を18:00くらいから22:30ごろまで繰り広げたというわけです。

無駄な話だった。

そしてこのブログでも無駄な主張を繰り返す。

無駄な話をしよう 飽きるまで呑もう 僕らは美しい。
明日もヒトでいれるために、愛を探してる。

(31分、1241字)

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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