こんにちは。
今日は、幸せと不幸せについて。

幸せなのがいいけれど、幸せすぎるのは困ります。

なぜならば、現状を変えられなくなるからです。

社会は刻一刻と変化し続けるから、自分も変化し続けるしか無いのです。

今のままの状況はずっとは続かないし、頑なに動かなかったとしても、周りが動いていってしまう。

明日も生きてこう。2週間後、あるいは1ヶ月後はもっと楽しくなるかなぁ。

こんな風に思えるくらいの幸せが欲しいです。

そして、現状を安々と変えることを選べるくらいの不幸も欲しいです。

1歩踏み出すか否か? という時に、1歩踏み出す動機になるくらいの不幸さは欲しいです。

私は小屋暮らしなんてものをやったのですけれど、家に住んでいても不幸さがあったからやったわけです。

いつもチャレンジを選べるくらいの程よい不幸が欲しいです。

私は今、それなりに不幸です。

あれもしたい、これもしたい、自分で書いたものが本になって欲しい、などと思います。

あの人に会いたい、などとも思います。

ダニがウヨウヨいそうな小屋で寝なきゃならん夜もあるし、このまま何もできずに歳ばかりとってしまうんだろうかと苦悩する昼もある。

かといって、小さな幸せくらいは持っています。

150円くらいで買った古本をゆったり読める時間があるし、Web小説を投稿する度にコメントをくれる人もいるし、走ってから飲むビールは美味しい。読書会は7/14にやるし、楽しみもある。

ポイントとしては、意味のある不安と、意味のない不安があるように思います。

将来起こりそうで対処できそうな不安は有効だと思う。よく考えて対策を練ったほうがいいと思う。

しかし、過去に終わったことなのに、「あの時の判断が悪いせいでどうしょうもない状況になるかもしれない」みたいに思う時があって、これは無駄ですね。

不安に思うことはいっぱいあります。

例えば、明日の朝、ちゃんと起きて、小屋に向かえるだろうか? とか。

このままズルズルと歳ばかりをとって、どんどんつまらなくなっていったらどうしよう? とか。

しょうもない不安を抱えながら、寝る前の読書タイムを楽しみたいと思います。

以上です。

募集中のイベントはありません

投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です