今日は読んだ本の話。
グレート・ギャツビーを読了しました。
新潮文庫発行、野崎孝/訳、です。

私はパーティーが大好きです。
日本では結婚式の二次会が代表的なパーティーですよね。
だいたいハメを外しすぎて顰蹙を買います。
お決まりのポジションです。

そう言えば昔、東京の南青山あたりのパーティーに参加したことがあった。
ワインを飲んで、フラフラして、女性のスカートに赤ワインをこぼした思い出しかないです。
「俺はダメな奴だ」と実感しました。

コロナ前まではサルサダンスパーティーに参加して、ちょっとしたユートピアを体感しました。

あるいは、政治家のパーティーもあったりしますが、そこではひたすらビールを注ぐ役で、なんかしょうもない存在だったな。

こんな風に、いっつもパーティーしたい私ですので、豪邸に住んで知らない人たちを大勢集めてパーティーを開くギャツビー氏には憧れを抱くところです。

この話は第1次世界大戦後のアメリカが舞台。上流階級の社交を描いてある。
昔の金持ちは、沢山の人を呼んでパーティーを開くことがステータスだったんでしょう。
もちろん現代でも同じかもしれませんが、これはネットの普及によって変わったのでしょうか? 変わってないのでしょうか?
今の金持ちは、とにかく宇宙を目指す印象です。
あるいは、寄付をすることがステータスだったりするのかな。
ネット社会によって、パーティーは流行らなくなるかもしれないなぁと考察しました。

さて、ギャツビー氏は別にパーティーが好きだからパーティーを開いていた訳ではないのです。
実は、昔の恋人を自分の豪邸に呼び込みたいがためにパーティーを開くのです。
金持ちなのに、けなげです。

そして私も昔はそんなことをしていたかも!
規模は小さいんですけど、
「あの子は来てくれるかなあ」
と思いながらイベントの企画を立てたり。
「こういう企画ならあの子を誘える!」
なんて思いながら詳細を詰めたりしていました。
ギャツビーにちょっと似ている。
で、、、その結果、あの子と仲良くなれたかと言うと??
もう忘れたんですけど、そういう手法を今はやってないことを考えると、労力に見合う成果は上がらないんだと思われます。

私は過去の恋人を振り向かせようとは思いません、ギャツビーとは違います。だけれど、昔からやりたかったことに囚われて、無謀なチャレンジをしてしまうかもしれません。
そのチャレンジのせいで、手元にあったはずの幸せを失ったりします。
ギャツビーに対しては
「昔の恋人なんて諦めなはれ」
って上から目線なのですが、自分のこととなると諦められなかったりしますね。

この小説は、とても文学的でして、私には記述が難しい点やまどろっこしいなぁと思う点が多々あったのですけれども、とにかくパーティーはいいなぁって思ったのが感想でございます。

さて、あの子はどんなパーティーをしたら来てくれるのだろうか?

盆踊り会でないのは確かだな。

募集中のイベントはありません

投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です