今日は「小説を書きつつ、小説を読む」ということについて。

現在私は小説新人賞に応募すべく長編小説を書いています。

いや、新人賞をとろうなんて淡い期待を思い浮かべてはいない。とにかく応募できる作品を書くこと、要するに字数にだけ焦点を当てて書き進めている。

しかしそれがめちゃめちゃ難しくて、止まってしまっているから、こうしてブログを書いているのです。とにかく、小説を書くのはめちゃめちゃ難しい。書いてみれば分かる、めちゃめちゃ難しい。

だから私はすべての小説家を尊敬しています。自称小説家はダメですね。本を出した小説家ですね。

たまーに、「この小説は読み進められない、、、」という本にも出会ったりしますが、その著者にも尊敬の念を抱くようになりました。私の心には響かなかったけど、誰かの心には響いたわけですからね。

こうやって、自分で小説を書きつつ、人のを読むと、以前よりも能動的に小説を読めるようになり、以前より楽しめるようになっているから不思議です。

「おおお、キター」なんて、声を出しながら読んだりしています。いい感じの謎が提示されたり、それが予想外の展開だったり、いいキャラ設定だったり、風景描写が見事だったりすると、「うぉぉ、やるな!」と2度見しています。2度読みかな。

もちろんそういう時は「到底勝てやしない」と自分が小説家になることは諦めの気持ちも湧いてくるのですが、以前より小説を楽しめるようになったのであれば「得だな」と思います。

そして、このようにブログをガガガガガと書くことにした。そして書くことが苦痛じゃなくなるレベルまできました。今や私は何でもいいから書けと言われて、何でもいいから書けるのです。成長したといえば成長した。闇雲に突っ走る力がついた。

これは良いのかどうかは別として、何かしらの変化があることについては、とにかく良いのです。

小説を面白く読める、深く読める、ようになったということは、1冊から得られる経験値も増えたということではなかろうか?人より多くの点に気付けるのならば、人の多様性を吸収して豊かな人生を送れるのではなかろうか?

同じ主張をしますが、小説を書いています。めちゃめちゃしんどいです。7万字くらい書きました。まだ出来上がっていませんので新人賞には応募できませんけれど、この間の自分の変化については実感しているところです。

相変わらず私は動いていて、変化もしている。

皆様もゲームが好きならゲームを作ろうとしてみたり、音楽を聴くのが好きなら演奏や作曲をしてみたり、マンガが好きなら描いてみたり。そうすることによってより理解が深まってより楽しめるようになるかもしれませんよ。

このどうしようもないコロナ禍ですけども、私は能動的に変化しているところです。

以上です。

(23分、1150字)

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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