今日は、不安感とか、どうにも上手くいかないことについて書きます。
どうにもおかしい。目標を達成しそうなのに不安感しかない。
ここ3ヶ月くらいは、小説の新人賞に応募できる原稿を書こうと必死で文字を重ねてきた。
その結果、8万字に近い原稿が出来上がって、応募はできそうなのです。印刷もしてみました。A4用紙98枚分あります。
それを見直して、いわゆる推敲ってのをやりたいのです。まだ締め切りになっていないので、より良いものに仕上げたい。
だけども、それができない。もう文字を読むのが嫌だ。ここまで頑張ったけれど、最後の仕上げみたいな行為を拒否する自分がいます。
頑張って、頑張って、もう疲れちゃったのかな?
もう嫌だって疲れたんだって、本当は言いたいし、もう言っちゃってるし。
最後の最後は信じる力みたいなものが必要なのかもしれない。
「これを読んだ人はきっと面白がってくれるに違いない。」って信じきれる力。
そういう夢を見れないんだよなぁ。
「8万字書く!」っていう目標は立てられて、その通りに行動できるんですよ。どうすればそれができるか分かるし、ゴールに至るために体を動かす事もできる。
だが、出来上がったものが誰かを喜ばせることを想像できなくて、最後の最後で、満足感を得られない。徒労感ばかりを感じてしまう。
これがすごく悲しい。頑張った分だけ悲しい。
生きづらい。
人の評価を求めないといけないし、人の役に立ちたいとも思う。
だけれども、それは得られる場合もあればそうじゃない場合もあり、それを目標にすると、ものすごく不安定な状態に陥ってしまう。
だから期待したくない。
だが、期待しなければ最後まで走りきれない。
3ヶ月を投入して8万字書いた。
しかしこの行為によって、まだ誰も幸せになっていない。誰の役にも立っていない。
「いつか誰かを幸せにできる。」「いつかきっと誰かの役に立つ。」こういうあやふやなことを信じ込める力が、必要なのかもしれない。
信じたい。自分の力を。
「小説なんて自己満足の世界」という人もいるんだが、ぜんぜん自己満足すらできないんですよねぇ。なんだろうこれは?
ランニングとかをやると、誰の役にも立たないけれど、満たされる部分はあるのです。
しかし、小説では評価されたい、しかし、それを信じることができないという、闇のスパイラルがあります。
「誰かから評価されるために書いてるんじゃない」とか「楽しくやってたら評価はあとからついてくる」とかって言いたいんですけれど、そんなに楽しみながら生み出したものではないので、そうも言えないのです。
向いてなかったのかもしれない。
しかし、それを言い切るのも違うんだよなぁ。8万字は書いたからなぁ。
分からん。
盆踊りも最初から楽しかったわけじゃないし、コントラダンスでも楽しさを見い出せなかった時期もあるし、初心者だからのせいにしておこう。
いつか自信を持って、何かを語れる日が来るはずだ。
「自分の楽しいポイントを把握すればいいねん」とか言い出すに違いない。
しばらくは考えます。
楽しさ、評価、創作すること、人の役に立つこと。
このあたりの関係について。
以上です。
(40分)
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