今日は「使命」について書きます。

今日も色々と考えて、色々と悩んで、色々なため息をついた。
しかし、この時間になってみれば、何を考えていたかすっかり忘れてしまっています。
夏至の翌日の今日に考えたことを書き残しておきたいが、すんなりとブログ向きのことが書けるわけではないのです。

というところで、急ですが、使命に殉ずるような生き方がしたい。
「お主はこれをやるべきだ」ってピカーンと頭に浮かんで、それに命を懸けるような生き方。

こう考える理由は、人によって得意不得意があって、できることできないことが大きく違う。また、喜ぶポイントも違う。
これを突き詰めていけば、その人固有のやるべきことが見つかるのではないかと思う。
それを使命と呼ぼう。

そういう使命を発見できれば、得意なことをやって、大喜びできるとですよ。
ああ、なんて、幸せなんだろう。

私が考えたことは、ええっと、
自分が美しいと思う絵を描いたとする。
その絵が人から評価されて、嬉しくなった。
だから次は評価を求めて絵を描くようになる。
評価を得られる場合もあるが、評価を得られなくなったとしたら、描くことがつまらなくなる。
こういうことが起こりがちなのではないか。
評価を嬉しく思うのは良いのだが、本当に大切なのは、自分が美しいと思う絵を追求することではないか。

とまぁ、こういう自分なりの美しさや正しさをとことん追求したくなるような場所に私は行きたい。
場所?
存在?
生存位置?

とまぁ、こういうことを考えました。

じゃあそれをどうやって発見するんだい?
そういうことを考えると、色々と悩ましくなり、頭が痛くなり、私は昼寝をしました。
そして余計に頭が痛くなったのです。

独身のままでいると、こういう余計なことを考えねばなりませんので、結婚できる機会がある人は結婚したほうが良いし、子育てもしたほうが良いと思いますよ。

いつまでも安定しないってことは、いつまでもチャレンジしないといけない。

ですから、使命ってやつを探すわけです。
「死に場所、見つけたり」ってつぶやいてから死にたい。

以上です

(20分)

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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