コロナの収束はいつになるのでしょうか?
どういう経過を辿りますかね?

ワクチンがある程度広がったら、正常化されると期待したいたのですが、もう少し先の話のようだ。
接種率が80%を上回るのは来年の4月とかですかね?

2019年に止まってしまった針が動き出すのでしょうか?
あるいは、ワクチンではコロナは封じ込められないのでしょうか?
分からない。

こういうことを考えて、盆踊りはどうなるのかなぁ? ということも考えています。

サイレント盆踊りという、コロナ禍に適応した盆踊り会を実施してみたのですが、大人数で大規模にやるという選択肢がとれない。
控えめな感じになってしまう。
色んな障害を掻い潜った選ばれし者たちしか参加できない。

こうなると、盆踊りらしい大衆向けの会ではなく、先鋭化するしかないのかなぁと思う。
選ばれし者が集まっているうちに、みんなで楽しく踊るという思想に変化が訪れ、パフォーマンス集団になっていくのではないのでしょうか?

ここで、は! と気付きました。

これまでの踊りの歴史でも、疫病による分岐があったのではなかろうか?

私にとって踊りとは原始からの娯楽だ。
縄文人とかは全員が踊ってたんじゃないですかねぇ?
炎を囲んで、肉を焼きながら、踊ったんじゃないですか?
「好きです」っていう言葉がない時代は、それを伝えるために、踊ったんじゃないですか?

本来であれば、原始からのみんなで踊る文化が残るはずなんです。
しかし、今の日本にはぜんぜん踊らない人もいる。
これってつまりは、踊りの文化がどこかで途絶えたわけです。

何によって途絶えたのか?
戦争とかがあると思いますが、疫病もその一つかもしれない。
人が集まることが禁忌となる何かによって、みんなで踊る文化が数年に渡って途絶えたのかもしれない。

で、この際、踊りを我慢できない人達がいたのだと思います。
この人達が、少人数で踊りを先鋭化させて行ったのではないでしょうか?
歌舞伎とか、日舞とかになったのでは?

現在のような疫病の際に、みんなで楽しむ踊りが、パフォーマンスやショーとしての踊りに変わるのかも。

私は前々から、音楽と踊りは双子、あるいは恋人のような存在だと思っていた。
音楽ってのは踊りのためにある。
しかし、現代では踊らない音楽もあって「どこで離れ離れになってしまったのかなぁ?」と不思議に思っていました。

今、コロナ禍になって、人が集まれなくなって、みんなで踊る機会が壊滅しています。
こういう時に、音楽と踊りは別れていくのかもしれない。

ただの仮説ですけれど、こんなことを考える今日です。

こういう風に、文化の分岐点に自分は存在しているとする、それでも踊りたいとする。
じゃあ、みんなで踊るのは一旦置いといて、少人数で技を磨き上げる方向に舵を切るべきなのかもしれません。

それでも踊りたい!
って決意した人達が、新たな文化を作り上げていくのかもしれません。
情熱ですな、情熱。

以上です。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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