今日は誇りについて書きます。

昨日、サイレント盆踊りの参加者の1人と喋る機会に恵まれた。
その仕草や語り口調から感じ取ったのですが、出町デルタで踊ったことをとても誇りに思っている風でした。
呼びかけ人としては、楽しく過ごしてもらって良かったなぁ、と顔がほころんだ。

私も京都を代表して盆踊りを踊ったわけですから、ご利益が集まっているのではないかと思う時間がふと訪れたりします。

だーが、誇らしくはあるけれど、誇りに思うほどではないなぁ。

ゴールにたどり着くと、もちろん嬉しいのですが、同時に目標の喪失が訪れる。
そしてゴール達成前の心境には戻れない。
サイレント盆踊りをやってしまった私は、そこまでやりたがることやったかな? そこまでやる価値のあることかな? と考えている。
めちゃめちゃやりたかったこと、ですけどね。

同じように小屋暮らしも、やってみた後では、その意義が分からなくなってしまう。

どうしてもやりたかったことなのに、やってしまった後では、その大事さの実感がわかなくなる。
よくあることだと思います。

考えようによれば、その変容した自分こそが残るべきものなのかもしれません。

現にサイレント盆踊りをやる前は、「くそう、この夏も盆踊り踊れねぇ!」と思っていた、その気持が解消されました。
こういう執着から解き放たれるのは、良い心理状態なのかもしれない。

そう言えば、去年の自分は、穴を掘ってたんですよね。
竪穴式住居ができるんじゃないかと思って。
何してたんでしょう?
相変わらずアホなことばかりをやっています。

アホなんですけれど、結局のところはこういう点が私の特殊能力かなぁと思います。
労多くして功少なし、な事に異常な情熱を持って取り組めるところ。

こういう自分に誇りを持って生きるべきかなぁ。

打算で生きようとしたり、賢く立ち回ろうとしたり、効率を求めたりもしますけれど、そういう風に生きると、小さくまとまってしまって、つまんないんですよね。

アホなことやって、
無駄なことをやって、
無駄なブログを書いて、
生きていく。それが私だ。

できたことに誇りを持たず、チャレンジし続ける生き方に誇りを持とうと思います。

あ、でも、ちょっと待った。
無駄なブログを書くのはあと4日で終わりにします。
その日に連続投稿100日達成しますので、一旦は方針を変える所存です。

以上です。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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