いや、特にね、ロマンティックなことなんてなかったんですよ。
それでもロマンティックなこととして捉えられたならば、幸せな気分になれるかも。

だからある日のデートランについて、なるべくポエミーにいきます。

日曜日、快晴、ちょっと暑いくらい。
最近ではたまにしか乗らない京阪電車に乗る。七条まで行くんだけど、普段ならこの距離は自力でいける距離だ。自転車でも行けるし、走っても行ける。
今日はそれをしない。待ち合わせだから。

待ち合わせこそ、デートのデートらしい点だ。
10分前には着いてた方が良いのだろうかと考えたり、本当に来るのだろうかと心配になったり、やや人目が気になったり、今のうちにやっておくべきことはないかと思考を巡らせたり、それこそがデートであり、やはり10分間くらいはそれを味わったほうが良い。
日差しがテカテカして、少しでも肌を日に晒すと、ジリジリくるような快晴。日陰に入っていれば心地よい気温。できるだけ日差しの当たらぬコースを走らねばなぁと思う。

川端通りの向こうから、スポーティーな服を着た女性が小走りでやってくる。まるで待ってる人がいるかのように。
あぁ、いるんだった。それは僕だった。
青空の下、シックだけれど女の子らしいランニングウェアを着ているその人は「お待たせしました」とかって言ったと思うけれど、僕はその人の瞳の輝きに見とれて、彼女が何と言ったか、自分が何と返したか、蒸発してしまったように記憶にない。

すぐさま僕は七条通りの高い方へ向かって歩き出した。
対面して話すと緊張しそうだからかな。
「どこを走るんですか?」とか、そんな質問があった気がする。
何と答えたか本当に覚えていない。
緊張しないように、ただ歩いた。
だけど、ちょっとくらい、緊張した方が良かったのになって、今なら思う。

こんなことを書いてね、自分の物語世界に入り込めたら、ちょっといいなぁと思うけれど、そういうのを失いつつあるのかもしれません。

「三十三間堂には中学の遠足で来たことがあります」
歩きながら聞いた言葉。この時間が最もデートっぽかったかもしれない。走り出したら、コーチと選手みたいになってしまった。道案内する人とそれに従う人の二人。
でもそれは、独りで走っている時にいつも憧れる場面だ。誰かと一緒に走れたら楽しいだろうなぁと思っていて、それが叶って、自分の理想の中にいるような1時間だった。
特に泉涌寺の参道の林間なんかは、二人で別世界に迷い込んだようであったし、伏見稲荷のトレイルは子どもの遊び場のようだった。
「こういう道が大好きなんですよ」
と、僕は落ち葉を踏みしめた。

ときおり君は息を切らせ、真っ赤な顔をしていた。
それが恋するときにポッ、となる赤い顔ならとても嬉しいけれど、それはただ運動による血行促進だと僕は知っている。
「しんどくないですか」「どこか痛くないですか」
こんな風に、尋ねるだけ。
彼女が酔った時にはこんな風に赤くなるのかな。キザなセリフを言った時はどうかな。風呂上りはどうかな。
そんな風に、想像するだけ。

彼女はもう住まいを引き払うらしい。
どこかで泊まり込みの仕事をしたり、どこか外国に行くらしい。
僕と君は今後も繋がっていられるほどの関係性を構築できていないと思う。
すでに終わっているようだ、始まってもいないのに。

ロマンティックなことなんて何もなかったんですよ。
爽やかさが、ただ通り抜けたような日でした。

おしまい

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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