なんかもう、ずっと気だるくて、コロナでやりたいことできないし、小説書いても成果は出ないし、靭帯を損傷して走れないし、ぜんぜん、ぜんぜん、楽しくない。
別に楽しくなくてもいいや、海の底で物言わぬ貝のように、冬を乗り越える種のように、自分を冬眠状態だと思ってこのつまらない時を過ごそう。

と、思っていましたが、大事なことに気づきました。

コロナ禍に強い生き方と弱い生き方があると思うんですよ、暑さに強い生き物と弱い生き物がいるようにね。
あなたはどちらですかね?
コロナ禍でも今まで通りに楽しめましたか?

私は逆風が吹き荒れました。
というのも、盆踊り、フォークダンス、サルサダンスに心を満たされていたのです。盆踊りでは「師匠!」と崇められ、フォークダンスでは女性のお手々をにぎにぎしていました。
しかし、これらが壊滅したことにより、心の防波堤を失って、多少の波で浜辺が荒れてしまう状態になった。
多かれ少なかれ、みんな同じような状況だと思います。

それでも新たな楽しみを見つけ出そうと、小説を書いたりしたのです。
映画化という栄光を手にすることもできました。
しかし、書籍化を目指して努力したものの、そこまでの能力がないことを思い知るばかりで、むしろ精神にダメージを受けた。
めちゃめちゃムズい。

コロナ禍が2年続き、私は身近な社会にも創作の世界にも居場所がないことを思い知る。
え? どこに行けばいいの?
灰色の世界だ。視界がぼやけている。自分の道が分からない。

しかし、しかし、しかし、しかし、
我が身を冷静な視点で見ると、さほど不幸な身の上でもないんですよねー。
この間読んだ小説の主人公たちは、もっと不幸だったぞ。
孤児だったり、好きな子が死ぬ病だったり、望まぬ性交に耐えていたり、好きだという気持ちを自覚できずに背中を蹴りたがったり、etc。

ではなぜ、私は塞ぎ込んでいるのか? 楽しいことを選ばないのか?
うーん?
は! ただ、言い訳をしていただけだ。
それに気づいた。

やりたいことをやるのって、けっこうめんどくさい。
例えば、「小屋暮らし」がやりたいとして、小屋を建てて、獣に近い生活をして……、普通に考えたらめちゃめちゃめんどくさいですよね。
「サルサダンス」をやるにしても、初心者の場合は練習から始めないといけないのでめちゃめちゃめんどくさいですよね。
ひょいと金を払って楽しませてもらうような娯楽がやりたいならば、簡単に済むのですが、私が面白がることってめちゃめちゃめんどくさいんですよ。変なヤツなんですよ。

そのめんどくささを乗り越えない言い訳をしていた。コロナを使っていた。
私のやりたいことはだいたいめんどくさい。
わかりますか? やりたいけどめんどくさい心理?
小さなことで言うと、お風呂につかると気持ちいいのは知ってるけど、めんどくさい時。そんな感じ。

私はめんどくさがりで、何をするのも嫌なんですよ。
それでも行動してきたわけですが、そこには、
「あー、もう、言い訳できねぇ、くそう、やるしかねぇ」
という状況に陥ったわけです。自らその状況に追い落としてたわけです。
ですが、このコロナ禍で、
「コロナだからやめておこう」
と、言い訳できてしまう。

めんどくさがり × コロナ = 動かない

タイダーの公式

この公式に気づきました。
楽しくなくてもいっか。と、思っていた日々を終わりにしたい。
抱腹絶倒の日々を取り戻そうと思います。
コロナ禍を言い訳に使わない。
忙しいも言い訳に使わないし、歳も言い訳にしない。

Yeah!
Let’s dance!

自らの言い訳を潰すハンマーを、心に描いて生きていこうと思います。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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