思うところがあって、幹事業というか、交流業というか、コミュニティ事業というか、人を集める企画をやめようと思います。
本質的には向いてないことに気づきました。

「楽しさ」を求めていたのです。
究極の楽しさです。
それはやはり、人が集まってワイワイすることを理想としていたし、実際にたくさんのことをやりました。
BBQ、酒場、人狼会、ボドゲ会、フォークダンス、読書会、登山会、ランニング会、キャンプ部、etc.

おかげさまで、楽しき思い出は沢山あるし、色々やったということにおいては充実してたし、悔いのない過去だと思います。
あの日はあんな感じに楽しかった、といっぱい語れます。
語らないけどね。

なぜやめようと思うか、その理由は、
おそらく、1つじゃないのですけど、
私の本質的な性格は、人との交流を求めていない、という衝撃の事実が浮かび上がってきたのです。

これは他者との比較によって分かってきたのですが、
お喋りしたいという欲求があまりないし、もちろんつまらん話を聞くのも好きじゃない。
うちの母などは喋れば喋るほど元気になります。
人懐っこい人っているんですよね、楽しそうに喋って、人との交流が大好きな人がいる中で、私はぜんぜん違う。

実際に、実家の商店で飲み会が行われたりするのですが、それに参加する機会があっても、サッと帰りますからね。
たぶん交流が好きな人なら、とにかく人の集まりには居残ると思うんですよ。
これは、帰って小説を書きたいという欲求があるんですけど、小説を選ぶ時点で、交流は二の次なんやなぁと実感しちゃいます。

そんな性格の私が楽しさを求めて人を集めていたわけですが、本質的には交流を求めてないので、肝心な部分が欠けた企画になるんですよね。
人を満たせない。

それでも何かをやりたがって、企画を立ててきたのは、妄想力というか、想像力というか、これをこんな風にしたら楽しそう、と思い浮かんでしまって、過去の経験により行動力も作法も磨かれているので、やっちゃうんですよ。
でも、続かないんですよ。

というわけで、続かないし成果は出ないし、人にはがっかりさせてしまう訳ですね。
ですので、交流事業は我が人生から切ることにしました。

交流を求める時は、徹底的に外部に頼ることにします。

私の妄想力や想像力は、小説に重心が移っていて、交流企画を思いつきはするのですが、すぐにしぼむようになった。
小説も含めて、ものづくりとか創作の方に、時間と力を使っていこうと思います。
クラフトマンなんですよ、本質は。だから小屋とか、Webサイトとか、料理とか作れるんですよ。
「人を楽しませる」という志向は変わっていない。
場を作るのはやめて、モノかコンテンツを作ろうって話です。

私はね、作品をね、作りたいタイプでね、こういうタイプが交流事業をすると、参加者までもを型にハメちゃうんですよね。自由な動きを許容しない感じ。マナーの良い会にはなるけど、ダイナミズムが生まれなかったかもなー。

この事実に気づくのに20年くらい費やしてしまったな。
若いと得意じゃなくても頑張れたりするんだよなぁ。
楽しい思い出が残っているので、頑張って良かったんですけど、これからはクラフトマンとしての異常に高い能力を活かして、生きようと思います。

wishigrow、ここに死す。
2022年6月4日

新しい名前は、えーっと、
ドスケベ丸、にしようかな。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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