生きるのがたいへん難しい社会になってまいりました。
結婚はできない、自分に合ったコミュニティは作れない、ネット上で注目は浴びれない、仕事はやたら疲れる。
もう生き地獄でございます。
いや、それは言い過ぎた。

私が思うに、今の社会は「推し活時代」なのかなぁと思います。
アイドルや著名人、インフルエンサー、アーティスト、クリエイター、ゲームプレイヤー、絵師、等々、自分の好きな人の情報を得るのにこれほど素敵な時代はありません。
私も色々な女性を”推し”ているのですけど、YouTubeやTwitterで彼女らの情報を追えて、頑張ればコメントにレスポンスをいただけて、幸せな瞬間が訪れます。

ちなみに私は、清水あいりさん、仲本愛美さん、山本英さん、上田桃夏さん、ナミノリさん、等を推しています。

また、”推す”ことによって、同じようなフォロワーとの共感を得る時代なのだと思います。
「同じくファンです!」って時に、ときめきがある。
私の場合は「森見登美彦作品が好きです」と言われると、ときめきが訪れますね。「同じ世界を見てるんだ!」って思います。

このように、ネットコンテンツが豊富になり、配信者と直接繋がれる、頑張れば双方向のやり取りができる。望めばファン同士の交流できる。これを推し活時代と呼ぼうと思います。

しかし、裏を返せば、プロたちが良質なコンテンツを配信し続けるわけですから、自分が注目を浴びることを望むと、ものすごく大変です。
たとえば、Instagramなんかをスクロールすると、美女が自身の顔を投稿していて、その下に素人が顔写真をアップしてたら勝負にならないんですよね。悲しいけど。とても悲しいけど見劣りする。

身近な誰かと仲良くすればいいじゃないかと思いきや、身近な誰かもネットの向こう側に夢中だったりしますからね。
興味関心が奪われて、素人じゃ見向きもされない。

マザー・テレサが、愛の反対は憎しみではなく無関心、とかって言ったそうですが、愛がネットに奪われているなぁと感じております。

そんな社会でみんな藻掻いていて、綺麗な写真を撮ろうとしたり、名言っぽいものを吐いたり、小説を書いたり、YouTubeを上げたりするのですが、アテンション・エコノミーに飲み込まれて、注目を浴びるのは難しい。

だから、コミュニティが必要だと思っていたのですけれど、ゆるく人を集めても、推しを推すことの熱狂には勝てないようだ。なかなか人が集まらなくなってしまった。
私自身もただの雑談を求めている訳では無いし。

ですから、ひたすら「推し活こそ幸せだ」って思えたらいいんです。
「俺なんて推しの養分だぜ」って。
それが幸せな生き方です。
YouTuberを追えばいいんですよ。サロンとかに課金すればいいんですよ。

ですけど、私はそこまで推し活にハマれないタイプのようで、それだけでは満足できない。
ある程度の注目の授受というか、フェイス・トゥ・フェイスというか、「面白かったよ」と言われたいし、愛がネットに奪われすぎるのは健全ではないと思う。

で、若い人はアテンション・エコノミー乱戦時代に打って出たらいいと思うんですよ。
歌ったり、踊ったり、動画編集したり、特殊スキルのコンテンツを発信すべきだと思います。

しかし、私のようにそれなりの歳になってしまったからのう。
打って出るのはしんどいのう。
小説を書いてはいるが、世はコンテンツ乱戦時代、読む時間を奪えるほどの実力はないわい。

せめて、数人から師匠と呼ばれる存在にはなりたいのう。

誰にも注目を浴びれぬ中年にはなりとうないし、
金で注目を浴びるのは下品だし、
誰とも関わらず小屋で密かに暮らすのもできなかったし、
せめて師匠と呼ばれたい。

最悪の状態はネトウヨみたいになることだからなぁ。
何かを叩くことでしか仲間意識が感じられなくなったら、マジで終わりだ。

で、
さて、
さて、
何の師匠になら、なれるの?

それが問題だ!

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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