未だ、何が幸せか? どう生きるべきか? よく分からない。
分かっていることもあるし、それを説得力を持って語ることもできる。
たとえば、幸せなんて自分の意志ひとつだよ、とか。
幸せは外部から与えてもらうものではなく、自分にしか与えられない、とか。
「君を幸せにするよ」なんて言葉は全部嘘っぱちだ、とか。

しかしまぁ、こういうことを語ったところで、あるいは聞いたところで、「まぁ、そやろね」くらいの感情しか起きない訳です。

仮に、私が成功者と呼ばれる人で、幸せそうに振る舞っていて、「〇〇すれば幸せになれる」と語ると、誰かが「ふむふむ」と言うかもしれんけど、そこにはやはり嘘がある。

価値観が振り子のように揺れ動く。
喉が乾いたら何よりも水が欲しいけど、それが満たされたらそれ以上の水はいらない。
孤独の中にあれば、誰でもいいから人と喋りたいと思うかもしれんけど、いざ喋ってみると誰でもいいというわけじゃないと気づく。

と、こんな風に、未だ分からぬ。

ただ、今日の私は、いや、今の私は、修行僧みたいに生きるのがむしろ幸せなんじゃなかろうか、と思っている。
もしかすると、理想の姿はそっちなのかもしれん。
ミニマリストに通じるところがある。
まず、豪華な食べ物とか欲してないし、酒のんでウェイウェイするのはサルっぽいと思うようになったし、外部の刺激によって感情を揺さぶられるのが虚しいというか、ありがちというか、バランスをとるのが難しい。

ちょっと、インターネットにつなぐだけで、ガシガシ欲望を揺さぶられる。それってやっぱりしんどいんじゃないか? 頭がクール時は「そんなものいらねぇ」と思えるかもしれんが、ぼぅとしてる時は「それがあったら幸せかもしれん」と、心に支配が及んでしまう。

先週なんかは、毎日5000円くらいの買い物を積み重ねたんですけど、いざ商品が手に入ってしまうと、あのキラメキは幻想だったことに気づく。

自分で自分を支配している感覚が大事なんじゃないか。

ここ半年くらい、足首の靭帯が切れていたせいで長距離の歩行ができなかったのですが、ようやくリハビリ期に移ってきた。
昨日は散歩をしたのです。地味に1人で。
木々の緑とか、そのゆらめきとか、吹き抜ける風とかを感じようと思って。そして実際に感じて、「やっぱり、こっちのほうが必要だな」と実感したところです。

ふとスマホを手にすると、今ここにはない何かに感心を奪われすぎる。
これじゃあ、幸せにはなれんな。

・自分を支配している感覚
・自分に合った生活で自分らしく生きること

まずはこれを大切にしようと思っております。

この文中にオチはないのですが、
「結局、自堕落な生活しとるんかーい!」
という実生活が、オチ。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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