将来設計というほどは綿密な計画ではないけれど、人生の終盤は定食屋として生きたいと思っている。

何歳まで生きるかによって、いつから終盤なのかは変わるけれど、たとえば80歳まで生きるなら60歳からが終盤という気がするし、70歳までなら50歳からが終盤となるかな。
50はそこそこ近い将来の話だなぁ。

日本がどうなるか、世界がどうなるか、テクノロジーは、仕事はと考えても全く分からない。
車が自動運転にはなるだろうなぁと思うし、食べ物はロボットが作るだろうなぁとも思う。人の多くは仮想現実空間で過ごし、人との交流はその世界で完結するだろう。

そんな社会にあっても拙者は対面交流にこだわり続け、体を動かして遊び、相変わらずリアルな場で人を集めたがると思われる。
走って、焚き火して、酒のんで、盆踊りするだろう。
しかし、年老いて遊ぶ力がなくなり、奇抜な企画力も衰え、人との交流が徐々に途絶えていく。
みんな仮想空間に行ってしまって「独り取り残されてしまったのう」と、ぢっと手を見る。
そこで、定食屋だ!

食べ物さえ提供していれば老若男女問わず人が集まってくるはず。
もちろんあらゆるものが機械化されて、人が作る料理というのは前時代的なものになるのだけれど、自分のために誰かが作った料理というのはめちゃめちゃ貴重で、それが非日常体験になるだろう。
拙者はそれを提供できる。

拙者の憧れる老後は、縁側でゆったりお茶をすするのではなく、旅行して回るでもなく、いつまでも自分の技術なり商品なりを求めて、人が集まってくることだ。

というのも、ご隠居生活みたいなのはすでに十分堪能してしまった。
そして分かった。
自分だけのために時間を使うのって、さほど幸せなことではない。
誰かを喜ばせるために使う時間の方が、幸せだ。

調理技術はすでにあり、修行期間は必要ないのだが、今すぐにはそれをしない。
まだまだ阿呆なことをやれるうちにやっておく。
それができるのも、7~12年といったところか。

なかなか短いものだなぁ。
精一杯生きないとねぇ。

以上。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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