不思議の国のアリスを読んでみた。名作とされるものは読んでおこうと思って。
あまり面白みは分からんのだけど、結局お茶会だよな、と拙者は思う。
不思議の国のアリスは、アリスがウサギを追いかけて穴に落っこちて、異世界に迷い込んで、色んなキャラクターと絡んでは突如去っていく、ナンセンスでシュールな児童文学の古典。1865年刊行とのこと。
当時の児童文学は教義のような話が多かったけれど、不思議の国のアリスはなんの教えもなく、ただただナンセンスだったり、言葉遊びをしたのが革新的だったようだ。
後の世の拙者たちは不思議の国のアリスを読んでも衝撃を受けることはないが、当時の人達は「なんでこんなカオスな本が出版されるんや!」と驚いたのかな? 「意味分からん!」って。
学ぶこととしては、いつの時代も革新性や新奇性がなければダメなんだよな。普通に上手いだけじゃダメなんだ。破壊的パフォーマンスが必要だ。
○
という文学的な位置づけは置いといて、拙者が気になるのはお茶会だ。
1865年というのは、160年ほど前で、インターネットもテレビもラジオも映画もない時代。
そんな時代に何を楽しんでいたのかというと、お茶会だったんだろうな。作中に2回も出てくる。
クロッケーというスポーツや、カドリールというダンスは出てくるけれど、我々のネットやテレビに該当するものはお茶会だったと推察される。
また、赤毛のアンは1908年出版だが、アンもまたお茶会を楽しみにしていた。
2023年に生きる拙者は、テレビもYoutubeもNetflixも見れる時代なのだが、そんなもん無くて良かったんちゃうか? お茶会で良かったちゃうか? と考えている。
なぜならば、現代人ってお喋りし足りないと思うのだ。
お喋りをし足りてないからこそ、テレビとかネット動画とかSNSとか、見ちゃうんじゃないのかなぁ。
拙者はテレビもネット動画も見ないようにしていて、たま~に気になりすぎるYoutubeを見るくらい。ラジオは聴くときもある。
SNSはヘビーユーザーで、どうしても情報を得ようとしてしまう。ある種の依存症だ。
もともと文字情報は好きなので、これはしょうがないのかもしれん。
毎日お茶会があったとしても、読書を選ぶタイプかもしれん。
周りを見ると、うちの母は無意味にTVをつける。
あるいはこないだ、ランチの時に隣の席から聞こえてきた話では、「ネット動画が見れなくなったら他にやることがない」と言っていた。
これはTVやネット動画が必要なのではなく、お喋りが必要なのでは?
本当はネットもテレビもラジオも必要なくて、お茶会とか井戸端会議とか焚き火を囲んだ会で良かったんちゃうかな。
不思議の国のアリスを読んで、そう思う。
週末の宴会が楽しかったからなぁ。
酒はほどほどで良いから、お茶会でも良い。
本質的じゃないものって、いっぱいあるよなぁ。
気をつけないと。
以上。
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