春らしい気候だ。肌寒い朝や初夏のような昼や週末の雨。畑には雑草も虫も増えてきた。
そして、Tシャツで電車に乗っても平気な気温になってきている。(ああこれは、走った後の話。)
夕方、京都市内を北上し8km走って、鴨川を眺めながらビールを飲み、神宮丸太町から京阪で帰ってきたのだ。こういう走り方ができる季節になったことを嬉しく思う。
こんな季節だからこそ、シンプルさがなくなっている。思考カオスな時期がやってきた。

冬場は選択肢が少なくてシンプルだった。
ランニングして、風呂入りながら小説を読んで、薪ストーブを焚きながら温かいお茶を飲んで、小説でも書こうか、という日々だった。早く春が来たらいいのになって思っていた。
だが暖かくなると、飲み会は増えるし、盆踊り情報も入ってくるし、イベントも復活してきたし、畑仕事もできるし、バイクも苦痛じゃなくなるし、やれることが増えすぎてシンプルさに欠ける。
かえって、何をするべきかに迷う。
あいかわらず気が多い。

人の誘いに乗っておけば良いか、と思いつつ、自主企画をやらなくてよいのか? と考える。
過日、生演奏を聴いたのでダンス欲が高まっている。
かといって、執筆をすべきじゃないのか、と思う。
登山はどうか? トレランはどうか? それも頭をよぎる。
ゆるふわスポーツ大会Ⅱは? GPS鬼ごっこは? これもある。
カオスである。

しかも夢を描く時間が足りない。人と接する機会が増え、楽しませてもらっているからだ。毎週何らかの集まりがあって、自動的に予定が埋まる。
楽しいけれど、本来の役割を果たしているのだろうか?

冬場に思い描いた春の楽しみは一通りやって満足してきた。
草木が芽吹くように、あれもこれもとやりたいことが芽吹いてくる。
だけど取捨選択する思考の時間が足りなくて、ただ戸惑うばかりだ。

間引きをして、良い苗を育てねばならんのではないか?
頭の中は雑草がボーボーの畑なのかもしれん。

何をすべきか、ちゃんと考えよう。

以上。

投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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