毎日のようにブログを書いていてもなお、思考が整理されないという重篤な疾患を抱えている拙者であるので、本当に人生が生きづらいのだけれど、皆様はいかがでしょうか?

生きづらいというのは、少し言い過ぎた。
ふとしたタイミングで、なにが幸せなんだっけ? と疑問に思ってしまう。
その結果、なにか自分に足りないものがあるのではないかと思いを馳せ、あれかなこれかなと考える。
ダンスかな、執筆かな、交友かな、恋人かな、お金かな、自主企画かな、丁寧な生活かな、などなど迷走する。
そもそも自分に足りないものを数えだすことは、不幸の沼地に足を突っ込んでいくようなものだ。

かといって、自分は満たされている、感謝だ感謝だとセルフコントロールして生きていくのも、成長がなくなってしまいそうで好きじゃない。
いつもチャレンジャーとしての自分を保っていたい。

人間の欲求の難しいところは、満たされれば次の欲求が出てきてエンドレスなことと、欲求がすり替えられがちなこと。

コロナ禍で人との交流が希少だったので、あらゆるコミュニティをありがたく思っていたけれど、飲み会が増えて希少性が落ちてきて取捨選択の必要が出てきたし、どうせならダンスをしたいという欲求がメキメキと増えてきている。

ダンスをしたいという欲求を満たすなら1人で踊っておけば良いのだけれど、それじゃなくて、踊りながらも女性と目が合うあの感じを欲していて、それは性欲なのか、共感なのか、あるいは承認欲求なのか、すり替えられがちで分かりにくいけれど、とにかく踊る時のあの感じを味わいたい。

この欲求を明確に捉えられたのならば、他のことでも代替可能だと思うのだが、ダンスって複合的なので、難しそうだな。
音楽、運動、異性、自尊心、高揚感、浮遊感、共感など、色んなプラス要素がある。
そろそろ、ペアダンスやフォークダンスを踊らしてはくれまいか。

というわけで、思考が整理されていないのだが、、、
とにかく踊りたい。
あるいは踊った時に匹敵するような高揚感を味わう方法を探そう。
というのが、今日の結論。

以上。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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