昨日、自分に足りないものを考えだすと不幸の入り口に近づいてしまう、てなことを書いたのだが、これによって気づいたことがある。
じゃあ、足りないものじゃなくて豊富なことを考えればいいじゃないか、と。
そしてその豊富なものを人に提供するのが幸せに近づくコツなのではないか、と。

な、なんと、幸せな世界が広がっている!
と、一旦は思った。

しかしこれにより問いが発生する。
自分に豊富なものとは何なのか?
それをどうやって発見すれば良いのか?
豊富だとしても人が欲しがらなければ意味ないのでは?
自分に豊富なのか、自分の持つ資源によって豊富なのか?
などと、考えることがまた増える。
複雑である。

ちょっとづつ見つけるしかないな。
例えば、拙者は周りの人より人を誘うのが得意だったり、やや羞恥心がなかったり、長く走れたり、自分の足で遠くに行きたがったり、知らない飲食店に入るのが好きだったり、木工が得意だったり、声がデカかったり、機械を触るのも得意。
あるいは、駅近で庭のある家を借りていたり、実家が商店街に面していたり、滋賀に小屋を持っていたり。
コミュニティイベントのシミュレーションが正確だったり、しかも新しいことをやりたがったり、初めての人とでもにこやかにコミュニケーションをとれたり。
などなど、人より豊富なものは確かに持っているんだよなぁ。

自分に足りないものを探して補おうとするよりも、人より豊富なものを把握して人に提供しようとする方がオープンでいいよなぁ。

だが、自分に豊富なものはその価値を見落としがち。
カタンというボードゲームがあって、5種類の資源を組み合わせて開発していくゲームなのだけど、自分には余るほどある資源が人には希少だったりして、それを交渉などして取引する際、手札はクローズで希少性が明らかじゃないところに、面白さと難しさがある。

豊富だと思っていたけど市場価値がなくなることもあるし、最近はなんでも貨幣価値に変換されがちだし、豊富だと判断する力すらも奪われつつある。

とりあえず、人を誘うことの得意さを発揮して、今日も2名をイベントに誘った。
こういうのはだいたい感謝されることのほうが多い。
豊かさを活かせているのでOK。

とにかく、自分に足りないものを探すのを停止させよう。
豊富さにフォーカスする。

以上。

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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