もう文章なんてオワコンかなぁって、最近は思っていた。
動画、写真、漫画、音声がネットを飛び交う中で、ブログのアクセス数は昔のようには上がらないし、ブログを書く人も減ったし、書籍の出版部数は減っているし、文章で伝える時代はもう終わったのかなって。
せっかくジワジワ磨いてきたのに。

もしかしたら、書道みたいになるかもな。
今や墨と筆で手紙を書く人はいないし、むしろ手書きすら滅びつつある。そんな中で、芸術活動や美意識、デザイン的な意味合いで毛筆は捉えられている。
ブログも何かを伝える手段ではなくて、修行の一環だったり、作品としての意味合いが強くなるかも。
ブログ道、略してブ道みたいになっていくかな。
そのブ道を続けているのだ、拙者は。
読まれなくてもいいや、みんながブログをやめた頃に希少価値が上がるよ。師匠と呼ばれるはずだ。

と、思っていたけれど、いや、文章が一番伝わるよな、と思い直している今日このごろ。
まず、文章と動画を比べると、文章の方がデータ量が少ないし、製作時間も閲覧時間も少なくて済む。早い。
文章と写真を比べると、思いを伝えるには文章に分がある。
漫画はイラスト付きの文章と捉えると、読みやすくて伝わりやすいのだが、長くなるのが難点。
音声は同じ部分を聞き直すのが面倒くさいし、文章なら読み手の声で再生されるので心に響きやすい。

このように、文章は早いし、伝わるし、何度でも読んでもらえる。

結局のところ、閲覧数とかフォロワー数は見える化されるが、伝わった数は見える化されにくい。
インスタで2秒見ていいねが押されるのと、ブログで2分かけて読んでもらっていいねが押されるのと、同じいいね数だけど、同じ土俵に並べていいのかって話だ。
分かりやすい数字に踊らされがちだな、人間は。

なぜこんなことを考えたかというと、踊るピクニック企画をやろうとするにあたって、ちゃちゃっと文章にまとめる能力が有利に働いていて、もしかしてこれって、他の人は持ってないのかな? とふと思った。
人の協力が必要な企画を遂行する上で、文章によって意思を表明するのは不可欠で、それを磨いてきたからオモロイことができるのかもしれん。
(あとクソみたいな度胸も必要だったり色々あるけど。)

あとは、何を考えてるかが分かると、安心してもらえる。
気の合わない人は勝手に去ってくれる。
そういうメリットもある。

文章を書く人よ、安心したまえ。
文章を読む人は減ったけど、興味のある人にはきちんと伝わっている。
大丈夫。

以上

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投稿者: 石黒わらじろう

京都の古い民家で暮らしている。 趣味はランニングとブログと盆踊りを含むフォークダンス。 別名義で書いた小説は映画の原作として採用された。 自分で建てた小屋にて暮らしていたことがある強靭な狂人。 地球にも自分にも健康な生活がしたい。

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