2023年のびわ湖花火大会は物議を醸していて、無料観覧エリアを縮小し、有料観覧エリアをフェンスで覆い、有料観覧以外の人は来ないでくれと言わんばかりの掲示がされていたそうだ。
どう思う?
どの立場で考えるか?
一般人の感覚ではちょっとイジワルではないか! 何でもカネで解決か! と言いたくなる。しかし、主催者側の視点では、雑踏事故は本当に厄介で、対処に警備費がかかる上に事故が起こったら次からの開催が危ぶまれるので、絶対に起こしてはいけないし、イジワルなフェンスを張り巡らせることも必要かと思う。
拙者の感覚では、そもそも人ごみが大嫌いなので、花火大会には行かないし、勝手にやっといてくれ、という意見。
しかし、世の中にはスゴい人がいて、斜め上から解決する人がいる。フェンスも有料観覧席も関係ない場所、さらには特等席で観ることができる。
それはヨットを出して、湖上から観ること。
なんと特別な……!
これにお誘いいただいた時は、
「私でいいんですか?」
と、聞いた。
というのもヨットには定員があり、12名しか乗船できない。
年に1回のスペシャルクルーズの乗船者に選んでもらうのは恐縮すぎる。
だが、「おいない」と、返してもらった。
沖縄の方にいた台風のせいで花火大会の開催は心配されたし、開催当日は朝から風が強かった。琵琶湖が荒れると出港できなくなる。
拙者は午後3時頃のやや遅参気味でマリーナに到着すると、BBQを囲んだ1団がいて、これが今回のクルー。
ヨット関係の仲間とランニング関係の仲間と昔からの同級生が呼ばれているらしかった。
空は曇りで、連日の猛暑が嘘みたいな気温で、日除け無しでテーブルを囲んだ。肉を焼き、ビールを飲む、拙者も普段遣いではない赤ワインを持ち込んだ。
クルーの1人が三線を弾き民謡を唄う。それが風にのる。
プールに入りたければそれも自由。
琵琶湖には遮るものがないし、片方を見ればヨットが林立しているし、どこか遠い場所でのバケーションを思わせた。
午後5時ごろにBBQを片付けて、その頃には風の心配もなくなり、無事に出港となった。
ヨットの上で感じる風は、日常を吹き飛ばす威力があるし、向かう場所は花火大会なので、ワクワク感が高まる。
曇り空のせいで比叡山が夕日に染まるほどではなかったけれど、街の明かりが徐々に夜景へと変わっていくのを波の音とともに感じた。
聞いたところによると、花火の日の湖上は十数年前まで無法地帯で、ヨットやボートやジェットスキーが我先にと集まっていたらしい。しかし事故が絶えなかった。だから、花火の日は特別な許可を得た船しか出港できなくしたとのこと。
命は重い。
午後7時半、花火が始まる。
序盤はポツンポツンと打ち上がり、スタートを知らせる合図のように上がる。雑談も弾む。モグラたたきのように写真を撮って、上手く撮れないことを楽しむ余裕があった。
しかし途中から本気度を増してきて息を呑む。呼吸を忘れるほどの瞬間が訪れる。
綺麗だとか見事だとか思う前に、打ち上がっては消えていき、感想も感情も抱く余裕がないままに、次の花火を追いかける。
後日談としては、色んな花火があって、尾を引いて高くまで昇っていくもの、連続で色を付け足していくようなもの、イラストのようなもの、残り火が綺麗なものがあった。しかし、当日は悠々と鑑賞している余裕はなく、大迫力に息を呑むだけ、光に染められただけ。
自分の視界の端から端までが夜空に咲く花に覆われて、魔法みたい。
こんな風にとても贅沢に花火を味わわせていただいた。
湖上からの花火は最高だったと言いたいけれど、それは言わないでおこう。
別にどこから見てもいいんじゃないかな。集まって思い出を共有するのが大事じゃなかろうか。
花火は物語のラストシーンを思わせるけれど、これからも物語は続く。
思い出に残る体験がたくさんあるといいなぁ。
アイツを呼んでおこう、と言われるように、良い人であるべく拙者は頑張る。
以上。
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