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  • 2024年抱負「また遊ぼう!」

    2024年抱負「また遊ぼう!」

    ブログに向き合う時間が取れぬまま年末が過ぎ、2024年がやってきた。
    みなさま、あけましておめでとうございます。
    1ヶ月近くブログを放置すると死亡説が流れてしまうのではないかと危惧しつつ、時間と余力がなかった。
    近況も書きたい、今年の抱負も書きたい、1年間のまとめ記事も書きたい、年末のエピソードも書きたいと思えども、ブランクがあると筆の進みが遅くなる。
    そう、こんな風に前置きが長くなってしまうのだ。

    簡単に状況を整理すると、昨年末である12月に就職した。慣れぬ職場に自分を縛り付け型にはめているので、大変に疲れるし、余裕のない日々を過ごした。
    思い返せば10年くらい雇用されずに調理やWebの仕事で糊口をしのいできたが、どうにもやりたい仕事や売りたい商品がなくなってしまって、もちろん収入もなくなってしまって、貯金もなくなってしまって、そろそろ家賃が払えなくなるな、と危機感を募らせた。最悪ウーバーイーツがあるか、と思っていたのに、配達員の資格がなくなっておりスタートできない。
    どうしようかな? と考えた。
    結果的には就職して今に至る。

    新たな職を得て、自由を失い、ようやくほっと一息つける正月を迎えているところだが、ニワトリの小屋を作らないとな、という課題があるし、部屋も散らかっているし、暴飲暴食のせいで気だるいし、眠いし、それでもブログを書こうとする拙者はとても偉いぞ。
    ……相変わらず無知蒙昧なままで文章を書くので、本当に中身がない。

    40数年生きてきて分かったことといえば自分の無能さで、やればできると思っていたことが結局はぜんぜんできなかったり、思っていたより3倍の時間を要したり、自分にはガッカリなのだが、自分の無能さを自覚すればするほど人から好かれやすくなるのが人の世の不思議なところ。
    拙者の周りには人の喜びを自分の喜びとするような良い人々がたくさんいるので、その人達の世界に自分も存在するべく精進したいと思っている。

    多くの同世代と同じように、若さがなくなり虚栄心もなくなり、丸くなってきた。若い頃は生き馬の目を抜きたいと心の中に小利口さがあったものだが、思春期に抱いていた劣等感を克服し、人と比べる愚かさにも気づき、楽しい時間も穏やかな時間も好きになり、無理にスケジュールを埋めなくなり、野菜の生育を待てるようになり、ぬか床も維持できるようになり、庭のニワトリを眺めてるだけでそこそこ満足。
    興味のあることといえば、自分の健康と地球の環境くらい。
    だからせめて、この2つのことは勉強し続けようと思っている。

    青い空は青いのに、自由な時間を失って、以前のようにランニングができなくなって、ちょっと健康に関しては暗雲が漂っているが、環境問題について勉強できる仕事に就いたので、早寝早起き、運動、丁寧な生活を晴れやかに維持したい。
    余裕、穏やかさ、泰然自若を我が幸せの指標として生きていく。

    これらは去年から思っていたことで、新年っぽくないので、無理矢理に抱負を書いておくならば、コロナ禍で消え去ってしまった交流企画をまた復活させたいな、とは思っている。みんな、また遊ぼう!
    そのためにも早く仕事に慣れなきゃな、というのが現実。

    以上、
    本年もよろしくお願いいたします。

  • 2023年抱負「他力本願と土づくり」

    2023年抱負「他力本願と土づくり」

    あけましておめでとうございます。
    と、言ってるうちに正月気分になってきました。

    今年は特別なお誘いをいただいて、清水寺で除夜の鐘を撞くという年明けになり、ごおお~んという波動により穢れが取り払われたようです。年明け0時の清水寺境内はどこを見てもあまりに美しく、天界に昇ったかのようで、2023年は早くも最高潮に達しました。
    お誘いいただいたS氏には大いなる感謝を抱き、またビールを奢っていただいたJ氏、同行してくれたH氏、清水寺の僧侶の方々や警備に方々、とてもありがとうございます。

    その後、清水寺から八坂神社に向かう道中、振袖姿の女子たちが前方を歩いていて、どうやら清水寺にもいた子らで、ナンパじゃないけど声をかけたのです。こんばんは~、と。
    まぁ、拙者は若い子らを相手に気の利いた会話などできませんので、「着物で寒くないんですか?」と聞いたところ、か細い手をスリスリしながら「寒いです」とのこと。
    「ほな、抱きしめたろか」と、昔はよく言ったものですけど、会話が寒くなった時に持ち直す馬力はもう失われてしまいました。
    「二人組の子らに1つしかないなぁ」と思いつつも、使っていないカイロを差し出したところ、「きゃー、ありがとうございます」って、花束を渡した時のような喜びが返ってきて、静かな夜道が明るくなりました。
    お役に立てて光栄でした。
    こんな風に、感謝したり感謝されたりしながら、生きていきたい。

    他力本願で幸せになる

    拙者は現在42歳でございまして、数え年であれば43歳になります。
    すでに若者時代は終わりました。
    これまでは能力開発が大事だと思い、自分の力でどこまでできるのか?と、チャレンジをし、達成する喜びが確かにありました。
    だけど今では、自分はスゴイ、自分はこんなことができるんだって、振り返ってみても、なんだか虚しくなる。
    そもそも自分で自分を喜ばすために生きることが、面倒くさくなってきています。
    幸せなんて所詮は思い込みなんだよなぁ、わざわざそれを求めるのってめんどくさいなぁ、と。

    だからもう、自分で頑張って幸せになるのはやめたい。
    その代わりに他者に幸せにしてもらおう。そして大っぴらに感謝しよう。
    すごい人など目指さず、敗者のままでいて、誰かのお陰で生きていこう。
    他力本願という良い言葉がありますので、まさにそんな感じ。

    土づくり

    庭で野菜を育てようとすると、そもそも土づくりが大事だよなぁと実感します。
    しかしこれは、農業に限ったことではない。

    これを実感したのは、2022年の盆踊り活動においてですが、大文字サイレント盆踊りやニセ祇園祭りを実施するにあたって、信頼関係とか経験とか目に見えない部分、云わば良い土があるから決行することができた、と感じました。
    やりたいからやるという性質のものではなくて、土台の上になりたっているのです。

    例えば小説家になりたいとするならば、書き上げた小説が必要で、そのためには書く技術、書く時間が必要で、アイデアなども必要ですけど、その前にもっと必要なことがあります。
    それは創作を喜べること。
    書くことを愉しめる人じゃないと続けられない。
    愉しむことが土の部分です。

    このように、どうやって幸せになるか、何を愉しみ、何で悦ぶか、それらを選び取る力をつけることが人生のおける土づくりかなぁと考えております。

    戒律で幸せになる

    幸せを選ぶ、と言えば、現代社会では本能のままに生きれば幸せになれるほど単純ではない。
    旨いものを食い続けると肥満や糖尿病になるし、自己顕示欲を満たそうとすれば周りから人が去っていき、楽すれば楽するほど弱くなるし、金で解決すればするほど人間関係が薄っぺらくなる、社会環境と人間の本能が合わなくなっている。

    拙者にも本能的というか享楽的に「楽しかったらOK」という時代があったのですが、そういった刺激にも慣れてしまって、今では逆に「修行」みたいなのを好む節がある。

    例えば現在は真冬ですが、石油ストーブもエアコンもあるけれど、手作りの薪ストーブを稼働させて暖をとっています。
    これはとってもとっても不便で、一番は薪を用意するのがたいへん。
    生木だと割って1年以上は乾燥させないといけない。
    だからせっせと薪を割る。たいへんだ。
    しかしこの苦労に修行性があって、愉しさを感じれるので不思議です。ちょっとゲームっぽいのです。パッカンと真っ二つになるのが気持ちいいし、もっと上手くなりたいとも思う。

    このように何かをやらないことによって、喜びが見いだせるかもしれない。

    だから、
    ・自宅での独り酒をしない
    ・批判することによって上に立ったような気にならない
    ・コーヒーを飲まない
    ・贅沢な料理で幸せにならない
    と、このような戒律から始めようと思います。

    欲しい物を手に入れる喜びと、戒律を守り通す喜びは、同じなのか? 違うのか? 違うなら何が違うのか? を見極めたいと思います。

    小難しいぞ!

    というわけで、全体を通して、小難しいことを考えている。
    だから、若い女の子を相手に気の利いた会話ができない。

    しょうがないので、カイロをポケットに忍ばせて、街に出ていこうと思います。

    以上です。
    本年もよろしくお願いします。

  • 2022年抱負「創作への狂気」

    2022年抱負「創作への狂気」

    あけましておめでとうございます。
    本年もどうぞよろしくお願いいたします。

    1年の抱負は今日しか書けませんので、今年もいっときます。

    理想通り

    私はぜんぜん幸せじゃないんですけれど、自分の描いた理想を実現する力はまぁまぁある。
    生活に近い領域で働いて、健康を重視して、創作活動にも時間を費やす。ほぼ理想通りの生活環境が得られている。

    働いているのは飲食関係。おむすびを祈るように作るのがメインの仕事。労働時間は短めで、普通の人の半分くらい。
    目の前にはいつも米があり、食えなくなるという恐怖心は全く無い。
    家賃が払えなくなっても生きていけるのは小屋暮らしで実証済みなので、それも大丈夫。
    とにかく、生きてはいける。

    健康は重視していて、いつでもハーフマラソン(約21km)を走れる体力は維持したくて、願わくば1kmあたり5分以内で駆け抜けたい。
    残念ながら、トライアスロンに出たいと言ってた去年よりは格段に体力が落ちた。寅年だけにトライアスロン、と上手いこと言いたいけれど、うーむ。
    よく寝るようにはしていますが、たまにストレスにやられる時はある。
    甘いものは控えていますが、アルコールは控えられなくて、ここが私の弱点ですね。

    創作活動と言いましたが、表現活動、芸術活動などのことです。
    金を稼いで消費するだけの人生には満足できない。
    音楽、絵画、踊りなどなど、魂がスパークするような活動を人間はやるべきであるし、これからの社会ではそれがないと「は? 誰やねん」という評価になる。
    私の書いた文章が原作となった映画が今年公開されるのです。
    才能があるのか? 実力があるのか? と宝探しをし、自分と戦っているところ。
    ですから今の私が選んでいる表現フィールドは小説です。
    たまに、踊りもやっています。

    以上の通り、仕事、健康、表現のバランスの取れた生活スタイルは自分の理想的な状態になっている。

    次の理想へ

    理想は叶っている。
    それでも欲しいものは自分の小説が本になること、それが今は一番欲しい。

    小説の世界というのは、他の芸術活動と同じくコンテストがある世界です。とても分かりやすい。
    何らかの賞を目標にやるべき世界のようだ。

    最近ではWeb小説に投稿し続けるうちに人気になる道、もありますので、賞だけではないのですけれど、賞レースがあるならそれを目指した方が良い。M-1グランプリの王者とかは、一躍有名になりますからね。
    ですので、書いて応募する、というのが私には求められているし、戦おうと思っている。

    狂気

    創作活動には狂気が必要だと思います。
    生きるために不可欠ではなく、合理的でも論理的でもないことをするわけですからね。
    そこに必要なものは狂気です。

    芸術活動には狂気が必要だと思います。
    そこは神の領域だからです。
    人であることを捨ててこそ、たどり着ける場所がある。
    そこに必要なものは狂気です。

    そして、創作活動は孤独なのです。
    むしろ孤独が必要なのです。
    漠然とした寂しさを抱えながら、人に頼らず作品に向き合う。
    そこに必要なものは狂気です。

    この通り、クレイジーじゃないと生み出せないものがある。
    その点において私は、実に有利な性格である。

    交流への理想は?

    これまでは対面交流を私のフィールドにしてましたし、理想を追求してきました。
    人が集まってワイワイする、楽しくって最高。
    と思っていましたけれど、そういう歳ではなくなったかも。

    などと、考えてしまうくらいに、人を集めて何かをしたいと思えていない。
    くじら料理の会、撮った写真を見せ合うような会、駅伝大会、そんな企画を思い描いていた自分はどこにいったのか?

    一時的なのか、これからずっとそうなのかは分からない。
    この点においてはどんな1年を過ごすのだろうか?

    よろしくお願いします

    こんな風に、一時的な関心の高まりだけで、周りの人を期待させたりがっかりさせたりしながら進むと思います。
    これまでもそうだったし、これからもそうだ。

    小屋暮らしをして、意図せず植物を観察していたのですが、奴らは「おかれた場所に咲きなさい」という信念で生きてはおらず、色んな所に種をばら撒く、光の当たる方へ枝も葉も伸ばす。そんな戦略だと私の目には見えた。
    だから、私の考えも似てる、色んなことをやってみる。評価されたことを育ててみる。
    日の目を見ずに枯れることもあるだろうけれど、すでに枯れつつあるから大丈夫。

    2022年の私もチャレンジャーであるし、夢も描けている。
    少し老いてきてはいるけれど、狂気を武器にがんばります。
    何か協働すること、一緒に遊ぶことがあれば、よろしくお願いいたします。

    皆様の消費活動はぜんぜん応援しないけれど、表現活動は全力で応援したいと思っていますので、何か良い作品をリリースしたら教えて下さいね。

    虎は死して皮を残し 人は死して名を残す。

    では、皆様にとって理想に沿った1年になりますことを祈念しております。
    パンッパン👏

  • 2019年抱負「森に帰れ。」

    2019年抱負「森に帰れ。」

    あけましておめでとうございます。
    2019年もよろしくお願いします。
    亥年ですね、ブヒブヒ。

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  • 2018年抱負「僕は君の犬になりたい!」

    2018年抱負「僕は君の犬になりたい!」

    あけましておめでとうございます。
    2018年もどうぞよろしくお願いします。

    戌年ですので、犬のように人なつっこい1年にしたいですー。
    くぅ~ん、くぅ~ん。

    (さらに…)

  • おせちと2017年の抱負

    おせちと2017年の抱負

    明けましておめでとうございます。
    2017年もどうぞよろしくお願いします。

    酉年なので、鳥肌を立たせまくろうと思います。
    ゾーーー!
    (さらに…)

  • 達成できなくても平気な2016年抱負(おせちとともに)

    達成できなくても平気な2016年抱負(おせちとともに)

    明けましておめでとうございます。
    wishigrow2016がスタートしました。

    去年と比べて、耳たぶがふっくらしたように思います。
    「Happy New Ear.」
    (何とも言えないくだらなさだな。)

    そんな2016年の抱負を語ろうと思ったのですが、そう思うやいなや、『抱負なんて役にたたねぇーしなぁ』って思ったりしています。
    なぜかって?

    (さらに…)