カテゴリー: 読む価値のない話

  • ぼくらの100日間計画

    ぼくらの100日間計画

    ブログの連続更新が今日で100日目になる。
    意識して始めた訳ではないけれど、やり遂げた。
    ブログ更新ならば100日いけるし、小屋で暮らすのも100日以上いける。
    飽き性な私にとっては100日くらいが丁度よいのかもしれない。

    100日前のブログはというとこちらです。
    >>無駄なことを書こうっと
    8月25日の記事です。

    この時に、無駄なことでも何でもいいから文章を書こうと宣言しているのです。
    やり続けた結果、何か手に入ったものはあるかな?

    うーん?
    無いです。

    ワラクリの連続更新はストップさせます。
    そして、次の100日間チャレンジをスタートさせたい。
    とりあえずスタートさせれば良くって、途中で断念するのもアリ。
    ダメなものはさっさとやめれば良いのです。

    さあ、次は何をしようかとここ5日間ほど考えていました。
    くじら料理研究会のブログを更新しようと思います。

    くじら料理研究会というのを立ち上げようと思っていたのです。
    まだ今年の序盤だったと思う。
    しかし、緊急事態宣言やら何やらで人を集めるのが憚られ、会として成立しないなぁと思っていたので、月日が経ってしまいました。
    何もなく半年ほどが経過した。
    とは言え、ほったらかしにしていると、いつまで経っても何も起こりませんので、ここでサイトを立ち上げて、ブログだけでも更新しようと決意しました。

    このくじら料理研究会のブログを100日間連続更新したいと思います。

    できますかね?
    実体のない研究会のブログを更新するのは大変だなぁ。
    小説を書くより難しいかもしれない。

    明日から書くわけですが、何も書くことが思い浮かびませんからねぇ。
    アホな内容になってしまうかもしれない。

    それでもだ、
    いつか、くじら料理研究会と称してみんなで会食できる日を信じて、情報発信をしていこう。

    ワラクリとは別のドメインでやりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

    明日は読書会を実施しますので、明後日にはワラクリにポストできると思いますので、また見に来て下さい。

    てなわけで、100日間チャレンジ。
    あなたも何かやりませんか?

  • 労働をいかに楽しむか? あるいは、娯楽と労働の境目とは?

    労働をいかに楽しむか? あるいは、娯楽と労働の境目とは?

    私は草を刈る。
    軍手をはめて、鎌を持ち、屈む。
    緑の奴らと対峙する。
    草がボーボーになると通りにくくなるし、虫が潜む可能性が高くなるし、草が生える場所は定期的に刈らねばならない。
    庭を維持するのは大変だ。
    いっそのこと、コンクリートで固めてしまおうか。
    雑草など、役に立たぬ。

    私は古い民家を借りたので、古い家らしく庭にぐるりと囲まれた構造になっている。
    おばあちゃんちを想像して貰えれば、だいたい同じような環境だと思う。
    この時代において、庭を保持し続けるのは贅沢なことだと思う。
    要は豊かだと思う。
    しかし私は現代人。
    草を刈るのは面倒くさい。

    こうして労働が発生するのである。

    草を刈るのは難しい作業ではないが、面倒くさいし徒労感がある。どんどん生えてきやがるからな、奴らは。
    電動の草刈り機でも買おうかなぁと思いつつ、メンテナンスが面倒くさいかなぁ、人力で立ち向かう方が面白いかなぁ、などと考える。
    考えているだけでは、草が繁茂する一方である。

    かくして私は草に負けるのだ。
    いや、まさに今日、私は立ち向かった!

    「やる気はやったら出てくる」
    というのが、最近の通説。
    これは正しいと思うけど、それなりの時間を要する。
    草刈りをし始めた直後はため息ばかりだ。

    時間は測ってないけれど、7分くらいかかるんじゃないだろうか、やる気が出てくるまでには。
    徐々に草を刈ることに燃えてくる。
    「めっちゃきれいにしてやる」

    そうして、徐々に思考が回りだして、
    「もっと楽しくやるにはどうしたら良いのかな?」
    と考える。
    「ある意味では、これは領土拡大ゲームと同じだな」
    こういうポジティブな発想が生まれてくる。
    「例えば、100円玉を撒き散らして、宝探しゲームのように草刈りしたらどうだろう?」
    「いや、100円玉はリアルすぎるので、ビー玉を集めて報酬にするのはどうだろう?」
    「草刈りゲームバーベキュー大会をやって、ビー玉の数だけ肉を食べられるようなゲームシステムにしたら?」
    と、まぁ、こういうことを考えながら草刈りをしたら、断然楽しくなりました。
    脳が活性化されて有意義な時間になりました。

    ここからは、労働と娯楽を分かるものは何なのだろうな? と考えた。
    例えば、スマホゲームが流行っていますけど、あれはなぜやるんでしょうね?
    昔、なめこキャラを刈り取るゲームをしましたけれど、リアルな草刈りと何が違うんでしょうね?

    例えば、釣りを趣味とする人がいますけれど、食糧調達なんて、労働の基本なのにそれを娯楽として楽しめるのはどういうことなのでしょうか?

    そういえば、勉強をゲームのように捉えて好成績を収める人がたまにいますけれど、似たところがあるのでしょうか?

    こんなことを考えながら草刈りをしたのです。

    マサオもビックリな草刈り人間と成長を遂げました。

    労働と娯楽の境目は何か?
    やはり、ルールとかゲームシステムとかが重要なのかもしれません。

    草刈りを終えた私は、とりあえず報酬としてビールを飲んでみました。昼間のビールです。
    頭がぽわっとなりまして、思考が閉じました。
    これ以上は考えられません。

    今日のところは、草刈りをゲームと捉えて、システムを整備したら楽しめるんじゃないか、ということ。
    また、それを考えながら草刈りをすると楽しい、ということ。

    これが私の見解です。
    以上です。

  • 反省よりも、次の1歩

    反省よりも、次の1歩

    今日は、無意味な文章を書くということ、について書きたい。

    管理画面には、96日連続投稿、という表示が出ているのです。
    この記事で97だから、あと3日書けば100日連続になる。
    節目までくると気持ちいい。

    何故書くことを続けているかというと、今となっては惰性です。
    もともとは小説を書くに際してスランプに陥ったので、とにかく何かしら書かねばならぬ、と始めたのがきっかけ。
    文章を書くことを仕事にしようとするならば、ババババと打った文字がそのまま価値にならねば無理なんだろうなぁと感じたのです。
    そういう速度感が必要なのかな、と。
    質より量。量をこなせば質も上がる。
    こういう考え方。

    おかげさまで、長編の小説をなんとか書いて、新人賞に応募しました。
    そこまでは良かったのですが、そこから先はぜんぜん書けなくなりました。
    そもそも能力が無かったのか?
    あるいは向き合い方がマズかったか?
    少しだけ自分に幻滅している。

    一つ、こうかなぁ? って思うのは、とにかく反省したらダメなのかもしれない。
    自分が書いた文章を見直して、あれがダメだ、これがダメだ、下手だ、と思っているうちに書けなくなるのかもしれない。

    例えば、ランニングをする時など、さっきの1歩を振り返って、きれいなフォームになるようにと元の場所に戻っていたら、どこにも行けなくなるし、楽しくなくなる。
    あるいは、ダンスなども、さっきの動きは格好良くなかったので、もう一度やり直そう、と思ってるうちに楽しくなくなる。
    ランニングの場合は、次の一歩、その次の一歩をどう踏み出すかが大事だ。
    ダンスの場合は、この動きが楽しい、この動きが好きだ、この動きが美しいと思う、と積み重ねていくのが大事。
    小説もそんなふうに書くべきなんだろうなぁ。

    もっと美しい表現をしたい、ありありとした風景描写をしたい、突き刺すような心理を書きたい、楽しいセリフ、可愛いキャラ、、、もっともっともっと、、、
    こうやって、どんどん進むべきだったんだろうなぁ。

    文章って見直し可能だから、こういう境地に達するのは難しいのかもしれんけれど、終わったことよりも、ああしたい、こうしたいと積み上げるのが大事かもしれん。
    向上心。
    理想を追う力。

    こういうのが湧き上がらないことは、勝負にならないと思うんで、さっさと諦めるのが良い。

    で、私はどうするんだ?
    小説は一旦保留。
    ブログも方針変更。
    無意味な文章で毎日更新を貫くのはもうやめます。
    向上心の湧き上がる分野に素直に取り組んでみようと、決意するところです。

  • 誇りを持って生きとるかい?

    誇りを持って生きとるかい?

    今日は誇りについて書きます。

    昨日、サイレント盆踊りの参加者の1人と喋る機会に恵まれた。
    その仕草や語り口調から感じ取ったのですが、出町デルタで踊ったことをとても誇りに思っている風でした。
    呼びかけ人としては、楽しく過ごしてもらって良かったなぁ、と顔がほころんだ。

    私も京都を代表して盆踊りを踊ったわけですから、ご利益が集まっているのではないかと思う時間がふと訪れたりします。

    だーが、誇らしくはあるけれど、誇りに思うほどではないなぁ。

    ゴールにたどり着くと、もちろん嬉しいのですが、同時に目標の喪失が訪れる。
    そしてゴール達成前の心境には戻れない。
    サイレント盆踊りをやってしまった私は、そこまでやりたがることやったかな? そこまでやる価値のあることかな? と考えている。
    めちゃめちゃやりたかったこと、ですけどね。

    同じように小屋暮らしも、やってみた後では、その意義が分からなくなってしまう。

    どうしてもやりたかったことなのに、やってしまった後では、その大事さの実感がわかなくなる。
    よくあることだと思います。

    考えようによれば、その変容した自分こそが残るべきものなのかもしれません。

    現にサイレント盆踊りをやる前は、「くそう、この夏も盆踊り踊れねぇ!」と思っていた、その気持が解消されました。
    こういう執着から解き放たれるのは、良い心理状態なのかもしれない。

    そう言えば、去年の自分は、穴を掘ってたんですよね。
    竪穴式住居ができるんじゃないかと思って。
    何してたんでしょう?
    相変わらずアホなことばかりをやっています。

    アホなんですけれど、結局のところはこういう点が私の特殊能力かなぁと思います。
    労多くして功少なし、な事に異常な情熱を持って取り組めるところ。

    こういう自分に誇りを持って生きるべきかなぁ。

    打算で生きようとしたり、賢く立ち回ろうとしたり、効率を求めたりもしますけれど、そういう風に生きると、小さくまとまってしまって、つまんないんですよね。

    アホなことやって、
    無駄なことをやって、
    無駄なブログを書いて、
    生きていく。それが私だ。

    できたことに誇りを持たず、チャレンジし続ける生き方に誇りを持とうと思います。

    あ、でも、ちょっと待った。
    無駄なブログを書くのはあと4日で終わりにします。
    その日に連続投稿100日達成しますので、一旦は方針を変える所存です。

    以上です。

  • 電子工作が動かなくて日付が変わりそう

    電子工作が動かなくて日付が変わりそう

    電子工作をしていたら、今日の分のブログが更新できないところだった。
    危ない、日付が変わりそう。
    すぐに投稿しなければならない。
    とにかく、上手く挙動しなかった。
    一生懸命に不具合を探求したのだが、どんどん時間を消費してしまった。
    晩御飯が食べれなかった。
    とても残念です。
    さようなら。

  • 未来に希望はあるのでしょうか?

    未来に希望はあるのでしょうか?

    皆様、お元気でしょうか?
    水害に見舞われてませんか?
    あるいはコロナに蝕まれていませんか?
    もしくは貧困に陥ったりしていませんか?

    私はかつてマンガをよく読みましたけれど、本当に乱世が始まりそうな現代社会です。
    疫病が流行って、災害に見舞われて、飢える人がでてくるのです。
    そこに主人公が登場してくるんですよ。
    三国志はそんなパターンで物語が始まるし、ベルセルクなんかも疫病と災害のイメージがあります。

    この世が末法だなぁと思うのはマンガの読みすぎでしょうかね?

    今の半端ない雨量や、容赦ない暑さは気候変動のせいだと思うし、おそらくこれからも悪化するのだろうと推測しています。
    台風も大型化すると思われ、毎年毎年、被災者と呼ばれる人が出ることになる。
    暗澹たる未来を想像してしまいます。

    あるいは、食糧不足も顕在化すると思います。
    人口が増加していますし、現在の農法は化学肥料などで栽培されているから、持続可能ではないのです。
    資源を使い果たしたら終わりって栽培方法なのです。
    食糧を奪い合う未来、あるいは飢餓の未来がイメージされる。

    まぁ、科学技術の発展により、抜本的な改善が図られるかもしれません。
    例えば空気中の二酸化炭素を効率よく吸収される技術が研究されているそうです。

    食糧生産技術にも改革があるかも知れない。

    水害に負けない家が建つのかもしれない。

    誰かがなんとかしてくれるかもしれない。
    しかし、私のコントロール外のことなので、淡い希望だ。

    こんな風に未来に希望を描けないので、私は生き急いでしまうんでしょうね。
    なんとか盆踊りができる方法はないかと考えるし、友達には積極的に会いたいし、この夏の思い出が空白というのはちょっと許せない。

    なんとかできることをしようともがいています。

    何かを努力するならば、
    世界中のライバルと戦う覚悟で仕事をするか、
    もしくは、食糧生産をすべき。
    かなぁ。

    私は先のことを想像して計画を立てる能力に乏しいので、
    いざ死ぬ時にやり切った感のある日々を送りたいと思います。

    水害と、コロナと、アホなインフルエンサーにはお気をつけください。

    以上です。

    補足。
    これを投稿すると90日連続で更新していることになります。
    あと10日間はがんばります。

  • ネットショップを立ち上げてみようと思った

    ネットショップを立ち上げてみようと思った

    私は世の中を甘くみているようだ。
    ネットショップをオープンしてみようと思った。
    やる気さえあれば(売れるかどうかは別として)立ち上げるだけなら簡単だと思っていた。
    しかし実際にはやることが多くて、難しい。

    現在の私はモラトリアム期間に入っております。
    小説を書くために執筆時間を確保したのだが、ぜんぜん筆が進まなくなった。
    賞を狙いにいくのは私に向いていないようです。
    あるいは、夏場は体が活発になるので、腰を落ち着けることができないのかもしれません。
    とにかく小説を書こうと思って時間を空けたのに、ぜんぜん書けない。ボーッとしたモラトリアム期間が生まれてしまった。

    もちろん、そろそろ貯金が底をつくので、死ぬか、あるいは何らかの稼ぎ口を確保せねばならない。
    まぁ、人間が1人生きていくための稼ぎのみに焦点を合わせたら、そんなに難しいことではない。
    私は多才ですので、なんとかはなるのです。
    しかし、可能なかぎり他の人ができないことをやって、替えがたい存在にはなりたいと思っている。

    そんな中で、ネットショップを立ち上げてみようという気になった。

    ネットショップで商品を売ることも考えられるし、ネットショップ制作の依頼を受けることも可能なので、持っていて損のないスキルである。
    去年は第2種電気工事士の資格を勉強したけれど、同じく勉強になれば良い。

    とまぁ、簡単に考えていたのですけれど、なかなか難しい。

    選択肢が多い面もあるし、選択肢がゼロの面もある。

    例えば、ネットショップは、モールに出店する方法や、独自にショップを設ける方法もある、ヤフオクやメルカリに商品を並べるのも立派なネットショップだ。
    多くの選択肢から自分にあったものを選ばねばならない。
    難しい。

    さらには、取扱商品を決めて、仕入れて、在庫管理、発送などの業務が必要になる。
    これはHTMLとかPHPが分かるとかとは違う能力が必要だ。
    難しい。

    その上、サイトを見栄えよくせねばならない。デザインの能力が必要だ。
    難しい。

    最後に、集客に関するプロモーションを上手くやらないといけない。
    難しい。

    私は小器用に何でもこなしてきた自負があるけれど、ネットショップ運営の守備範囲の広さはなかなかスゴイなぁと思います。
    オリジナル商品で勝負なんかしちゃうと、もっと多才さが必要ですね。

    ベイスとかありますから、簡単だと思っていたのですが、実際にやってみると分岐点も壁もたくさんある。迷子になる。

    結局のところ、私の場合は商品がないので、先に進まないんですよね。
    これまでもこの部分が課題でした。

    モノを売るより、モノを作る方が好きな私ですから、売りたい商品がないのはしょうがないのですが、せっかく作ろうと思ったネットショップが進まないのは、不本意です。

    売れるものないかなー。
    売れるものを作れる人と組んだら良いのかな?

    コロナ治療薬でも売ろうかな?

    以上です。